カノジョ

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 ある雨の日、アパートの一室で、彼女は俺に言った。 「……ねー、タカくーん」  甘えるような声色に、俺は顔を上げる。 「なんだよ」 「……ちょっと困ったことがあって」 「相談なら乗るぞ」 「うん、ありがと」  ミカの純粋で可愛らしい笑顔に、少しドキリとする。 「お、おう」 「実はね……その……どうしても……」 「?」 「——殺したい人がいるの……」 「……そ、そうなんだ……」  いつも元気で、純粋で、優しいはずの彼女の口からそんな言葉が出るとは。少し意外だった。 「そうなの……どうすればいいと思う……?」 「いや、そんなこと急に言われても……」 「ううん、タカくんなら絶対何か解決策を見つけられる!」 「いや……」  なにを確信してるんだよ。と言いかけたのを、 「いーから聞いて」  と遮られた。 「……はい」 「あのね、その人はね、とってもイケメンなの」 「……」  もしや、浮気してたのか?  ……いや、ありえないか。 「それで、優しくて、勉強も運動もすごくできるの」 「う、うん……」  して……ないよな……。 「でもね、たまに別の人みたいに乱暴になるの」 「そっか、そりゃあ大変だな」 「うん。で、乱暴されるの嫌だから、殺したいんだけど、どーすればいーかな?」  どうやら彼女は、怒らせると危険なタイプらしい。 「いや、もっと警察とか、距離を置くとかあるだろ。何も殺さなくたって……」  やれやれ。こいつに『殺したい』とまで思わせるなんて、そうとうだな。 「ううん、それじゃダメなの。いいから教えて、殺し方。タカくんそういう小説よく読んでるでしょ?」 「……そうだな……やろうと思えば、箸でも殺せるらしいけど……」  あんな細長い棒でも人を殺せるっていうのを知って、やっぱ人間って脆いんだと、改めて思ったんだ。 「ああ、眼球にぶっ刺してそのまま脳みそまで貫通させるやつ?」 「う、うん」  知ってんのかよ。 「あれはだめ。私非力だから、抵抗されたらどうしようもない」 「じゃあ毒を盛るとか」  ドラマとかのテンプレだ。 「だめ。あの人自分で買ったか作ったかしたもの以外口に入れないから」 「……ふーん、随分用心深いね」  サイコパスかよ。 「そーなの。なんでだろうね。それより他は?」 「……やっぱ、武器とか……?」 「うん、そうだよね、やっぱ武器だよね。……じゃあ」  不意に、雷が鳴った。  彼女は、ポケットからナイフを取り出した。 「——これで、タカくんを殺すね」  電気が消えた。 「……っふ、あはははははははははははははははは……!」 「なに、気でも狂ったの……?」 「いやあ、どうだろうね。……僕は、気が狂ったのは君の方だと思うよ」 「は……? 私の知り合い片っ端から殺してった人の気が狂ってないわけないでしょ」 「そうかもしれないね。だけど、この状況……君の方が圧倒的に不利だ」 「……?」 「……気づいていないのかい? まず、この部屋は防音だ。いくら叫んだって助けは来ない」 「……」 「次に、君の携帯電話。僕のすぐ手元にあるよ……助けを呼ぶのは、もう諦めるしかないね」 「……それで?」 「さらにだ。君は人を殺したことがない。僕にはたくさん殺しの経験がある。……この違いは大きいんじゃないかなあ」 「……」 「最後に、もう一つあるよ。それはね、そのチャチなナイフじゃあ僕の身体能力に勝てないってこと」 「……ああそれと、おまけにもう一つ言っておくと、僕は君のことをとてもとても愛しているけれど、場合によっては殺すことだって厭わないよ」 「……っなんで」 「『なんで』だって? そんなの簡単だよ。……死体になってもきっと君は美しいだろうし、そうなれば永久に僕のものになるだろう? だからさ」 「そんなの……おかしい……」 「おかしいかどうかなんて、人に決められないといけない覚えはないね」 「…………そうね……たしかにそうだね」 「ああ、そうさ」 「じゃあ、私はおかしくないんだ」 「……?」 「……タカくんはさ、私は殺しの経験がないから、殺すのは無理だって言ったよね」 「たしかに言ったね。それが?」 「じゃあ、回数で言ったら私の方が上かもね」 「どういうことかな」 「——私ね、頭の中で、タカくんのこと何百回って殺してるの。  でも、私はおかしくないんだよね。おかしいかどうかは、自分で決めていいんでしょ?」 「……そう……だね……」  ある雷の日、アパートの一室で、殺人鬼は僕に言った。 「……私は、おかしくないの。正しいの。だから——あなたを殺してもいいの」  どこかで落ちた雷の光を反射して、ナイフがギラリと光った。
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