17人が本棚に入れています
本棚に追加
遠足日は曇天だった
灰色の空の下、校庭に並んだバスが駐車しており各クラスの生徒が並んで乗車していく
俺は名簿にレ点を書き込みながら目的の人物をさりげなく探す
男女の群れから次第に点呼を兼ねた乗車確認をバスの乗り口で作業をこなす
生ぬるい風が吹くたびにざわざわとした何かが心を撫で付ける
業務用品の黒いボールペンを意味もなく回す
まだ中のインクはあるのに、黒い線は掠れていた
並んでいた人の列が終わった
名簿には空白の四角が一つ
隣には約束をした彼の名前がある
やっぱりあんな出来事は都合のいい妄想、幻覚であって
風切くんはこんな日和見主義な自分を看破していて
「約束?なにそれ?」とか言って迷惑そうな顔をされてしまうのか
あの透けた綺麗な瞳が俺を捕らえて離さない
いや、勝手に飛び込んだ自分の自業か自得
教科書に載っていた速水御舟の炎舞のように
哀れな虫は身の程知らずに炎の中に飛び込んで燃え死ぬだけなのかもしれない
でもあんな綺麗な炎で最後を終えるなんて
一つの幸福な終わり方なのかもしれない
そんな思考を曇天の空を鳥達が悠々と飛んでいる姿を見ながら思った
「はぁ…」
ついため息が漏れる
桜の花びらが校庭の土の上に散っていた
春曇りの空に冷たい風がより侘しさを際立たさせた
「なに溜息吐いてるの?」
「わっ!」
突如後ろから声がかけられた
驚きすぎて手に持っていたペンを落とした
安いボールペンがワンバウンドしながら転がる
それを姿を現した風切くんが屈んで拾う
「はい」
「あっ、ありがとう」
受け取りながら烏の濡れ羽色の髪と白い肌の彼を見る
現実だろうか
白昼夢?もう来ないと、一時の夢幻だと思っていた時
にあえるなんて!
いや学校に通学しているから当たり前のことなんだけどさ
それでも俺は、春曇りのような心で冷えた風に吹かれ侘しい気持ちでバスに乗り込もうとした時に
雲の割れ目から一筋の光が差したような心持ちになる
「なに?なんか変?」
じっと見ていたせいか、細い眉を寄せながら自分の体を見ている
「昨日遅くまで本読んでたから寝坊しちゃった。まだ大丈夫そう?」
「え!あ、うん。大丈夫大丈夫!いらっしゃい!」
「いらっしゃい?」
「いや、はは。俺なに言ってんだろ」
怪訝な顔をした後僅かに微笑んでくれた
赤い舌が僅かに白い歯と共に見えた
「寝ぼけてるの?遠足だから寝られなかったとか?」
「そ、そんなところ。おはよう風切くん」
「おはよう。善人」
名前をゆっくり呼ばれた何故だか首がくすぐったかった
「…おはよう透くん」
「うん」
揶揄うような笑顔に俺はたじろぐ
「それ、出席確認でしょ」
「うん。委員長だから俺が点呼確認してるんだ」
「へぇー。忙しいね」
「そうでもないよ」
「ふぅーん」
「……」
「……」
「早くしてよ」
「え?」
微笑んでいた顔から無表情だ
秋の空模様のように変化がすごい今春なんだけど…
「だから点呼。いつまで経っても乗れないでしょ?勝手に乗っていいの?」
どこか呆れた様子で言う
その通りだ
「ごめんね。えっと、風切透くん」
「はーい」
間伸びした声で返事がされた
ちょうどその時冷たい風が吹き
透くんは俺を盾にするようにして寒い寒いと言いながら
バスに乗り込んだ
バスに乗り込むとすぐ東がバスの奥の席で手を振っていた
こちらも少し手をあげ返す
「こっちこっち!お前らの分の席あけといたぜー!」
座っておくんなまし!と言って促してくれる
言ってないのに二人分の席を確保してくれていたようで、
意外と気が聞くんだなと思った
正直ナイスだ東
前を歩く透くんは静かでなにも言わないけど
これは一緒に座っていいのかな
とりあえず奥、座ろ?と言った
小さくこくんと頷いてくれた
そしてバスは先生の確認の後発車した
窓の右側の席に透くん、隣に俺そして真ん中に東と隣に佐和田と横田だ
隣にどちらが座るかを東と佐和田が争っていて騒がしい
つい気になって横目で窺うと透くんはいつのまにか本を取り出して読んでいた
表紙にはフロイト・ユング【心の構造と精神分析論】と書かれた本を読んでいて驚いた
局所論?構造論?と表紙に書かれているけど全くわからない
心理学者について記された本なのか
流石に全くわからない分野なので話しかけられない
折角隣にいるのに…
読書する姿は凛としていて綺麗だった
文字を追って動く瞳がキラリと光る
先日のように二人っきりなら自然と話せるのに
なんて思った
「…ね……ねぇってば!」
「え、うん。なに?」
ボーとしていたら声をかけられていたようだ
佐和田が少し怖い顔をしていたがこちらが意識を向けると
満面の笑顔になった
「これお菓子なんだけど、真咲くん食べないかな?色々とクラスの女子達で持ってきたんだけどね」
彼女が手に持っている袋には様々なお菓子が入っていた
チョコレート、クッキー、グミ、マシュマロ、小包の飴などが目に入った
周りを見ると他の人もそれぞれ配られたお菓子を食べている
えーと…別にいらないかな
そう言おうと思って顔を上げたらその目に圧を感じ、咄嗟に下手な愛想笑いをしてじ、じゃあと言って適当に取った
ありがとうと礼を言って下がってもらった
俺には?俺にはねーの?なんで?ねぇ!
と隣で東が騒いでいてあんた一人で食べすぎ!自分のお菓子もう食べ終わったの!?ホント馬鹿じゃないの
とお菓子に手を伸ばした東の手を華麗に佐和田は避けている
その横で横田がふふっとにこやかに笑っていた
元気だな…
そう思って姿勢を戻した
手のひらで掴んだお菓子を開いて見てみる
手の中には大きいチョコマシュマロと梅飴、そして俺が以前持っていたのとは違うりんご味の飴があった
つい関連したあの出来事が頭によぎったがすぐにその思考を振り払う
話すきっかけだと思い、少し緊張しながらも声をかける
振り向いて迷惑そうな顔されたら嫌だなと思いながら
「……なに?」
「これ、配ってるお菓子だって。好きなの食べていいらしいから。よかったら選んでいいよ?」
おずおずとそう告げた
人からもらったやつなんだけど差し出した
透くんは少し俺を窺うように見つめた後
白くて細い腕を伸ばした
手前で少し逡巡して、梅飴をとった
意外だった
「…それで、いいの?」
袋を破ってピンク色の飴を取り出して口に含んだ
「ん…これでいいよ。だってそれ、好きなんでしょ?」
既に読書する構えに戻った透くんはなんてことないように言った
好き?あ、りんご味の飴のことか
そりゃあの事の当事者なんだからわかっているだろうけど
恥ずかしく感じる
手のひらに乗ったお菓子を見つめる
別メーカーの飴だがなぜかいけないものを持っているようなか気持ちになってポケットにしまおうとした
「これもーらい」
軽い声でひょいと手のひらに乗っていた二つのうちの一つにあったマシュマロを奪われた
「…うん。どうぞ」
なんとか返事を返す
なんでいちいち挙動に振り回されるように慌ててしまうんだろうか
「どうも」
ちらりとこちらを見遣った後本の世界に戻っていった
その横顔はやっぱり凛としていて綺麗だった
「なぁなぁひどくね!?俺だけ酢昆布一ダースってひどくね?うまいけどさー、俺酸っぱくなっちまうよ!なんてな!なっはっは!」
反対の席の東が真逆の温度帯で熱く酢昆布について語っていた
うるさいと佐和田に叩かれている
俺にも同志だと言って三箱貰った
正直いらない
バスは高速に乗って二十分
目的地に着いた
「着いたぞー!前列から順番に降りてくれ。委員長点呼頼むぞ」
こちらが返事をする前に担任は降りて行った
落ち着きのない人だな
透くんはずっと本を読んでいたが今は鞄にしまっていた
東は騒いだ後、俺の肩に頭を乗せてずっと寝ていた
重い上にいびきがうるさかった
先に降りて他の生徒を先導し、他のクラス同様に列を作って待機した
そして先生方の注意事項とタイムスケジュールの確認をして団体で宇宙科学博物館と書かれた施設に向かった
列の前にいるので後方にいる班のメンバーの様子は見れなかった
さすがに最初から行方くらましたりしないよなぁ
と不安な気持ちのまま先に進む
エントランスの真ん中にガラスのショーケースがあり
その中にはライトには石が置いてあった
近くに寄ってパネルを覗くと《隕石》と書かれたタイトルと説明が載せてあった
ふーんと思って覗いて見た
一見するとただの岩
だけど隕石と書かれたものを読むと一気に印象が変わるものだと自分で思った
大抵のものは引力による空気摩擦によって大気圏内で燃え散ってしまう
その中で形を残し地上に着地したものが隕石として回収されるらしい
表面が波打って黒くテカリのある外観で燃焼による焦げなのかなと思った
へぇー隕石にも種類があって、火星や月からも落ちてくるんだ
説明文の読む
今も隕石はたくさん落ちてきており、大体は地上に落ちる前に燃え尽きてしまうそうだ
案内の人の言葉を片耳で聞きながら施設内を見る
白く塗装された壁と深緑の廊下を進む
壁に埋め込まれた展示にはそれぞれ火山による地形の変化と水の惑星の由来そして地球の長い歴史の変化をパノラマのように展示していた
そのまま先に進むとホールに着いたようだ
そこには大きな惑星の模型が天井から吊らされており
巨大な天体儀となっていて壮観だった
惑星直列となった星はライトに照らされ陰影を際立たせて存在していた
俺はそれを見上げていた
施設内には独特な音楽が流れており
幻想的な雰囲気か宇宙感を出すためなのか知らないけど
施設の人の解説とともに聞こえた
なんとなく視線を下げ、横を向くと
列の反対側に立っている透くんの横顔が見えた
その横顔は無表情で
見ているものはわかっているはずなのに
なぜか不安な気持ちになってしまった
あの屋上で見たオレンジに染まった世界で見た彼の横顔は
とても綺麗だった
同じ人物なのに顔が重ならなかった
そう思っているとふと透くんがこちらを向いた
うわっ……
驚いて見つめあったまま、視線が絡んだまま
俺たちは動かなかった
自分の心臓だけがうるさく感じられるほどに
するとフッと笑みを浮かべ口を動かしてきた
えっ?……
細い唇で小さな口を動かしている
まー……え?み?……え?
なんだそれ?
まえ?
前を向いたら顔が間近にあった
「うわぁ!」
素っ頓狂な声が出た
それに周囲はクスクスと笑っている
視界の端にあーあ…とでも言いたげな透くん
そして指を指してこちらを笑う東
「聞いているのか真咲!」
「は、はい。すみませんボーとしちゃってて…」
「展示なら自由時間にゆっくり見れるだろう。とりあえず、ほらこれ配ってくれ」
ガサツな態度で担任が持っていたパンフレットを胸に押しつけられた
少しモヤッとしたものの、言われた通りに星と生命の歴史と書かれたパンフレットを班ごとの枚数に分割して
それぞれに手渡した
そして最後に自分の班に回すように東に渡す
そのまま二つあるうちの一つを透くんに手渡した
彼は黙って受け取り、そのまま中身を確認するでもなく前を向いて巨大な地球儀を見ていた
「……で、これで以上話を終わります。それでは先生方、生徒の皆さん方、是非楽しんでいってください。はい、それでは失礼します」
施設館長の挨拶が終わり、解散した
俺はボーと固まっていると肩を叩かれた
「いいんちょー!俺らどこ行く?つか腹減らね?」
陽気な声で東が声をかけてきた
そうだ班行動だった
「飲食は外で食べれるみたいだね。でもまだお腹は空いてないかな?結構辛い?」
「真に受けなくていいよ真咲くん!こいついっつも腹減ったって騒ぐから。それよりここ、行って見ないかな?ウサギとかアルパカいるんだって!絶対可愛いよね!」
いつの間にか隣にいてもたれかかってきた佐和田が笑顔で言う
突然の接触に身が震える
一瞬止まった呼吸を意識して復活させた
「腹ぐらい減るだろー!人間だもの!それよりロバに乗れるらしいぜ!やばくね?流鏑馬したい」
流石にロバで流鏑馬はキツくない…のか?わからないけど
絵面があまりカッコ良くはなさそうだった
「さなはどうする?やっぱり昨日言ってたモノづくり体験行って見たい?」
あっ、そうだモノづくり体験
カフェで話した時透くんとハーバリウム作りやポプリとか作れるらしい
透くんが真剣に作っている姿なんて想像しにくいけど
つい笑みを浮かべた
「何ニヤついとるん?あっ!エッチぃこと?!ねぇ?エッチぃぐほっ!?」
途中で佐和田が東の横腹にチョップした
的確な攻撃だったようだ
「ち、違うよ。ほら、モノづくり体験ちょっと、興味あってさははっ」
わざとらしかったかな…
頭を掻きながら言って、視線を向けて確認してみる
「いいね!私たちも行きたい!決定ね早く行こう!」
佐和田は嬉しそうに少し跳ね、横田にくっつきながら出口に向かった
そのあとをゆっくりと横腹を摩りながら東が追う
…
隣を向くと、まだぼんやりと月のクレーターと書かれた展示を見ていた
「……透くん、そろそろ移動するよ」
そう言いながら隣に寄った
不思議と心が落ち着いた気がした
声をかけたが透くんは返事を返さず、大人しかった
なにか不手際なことがあったかと不安になる
ほっといちゃったし、みんなうるさかったかな…
心配で横顔を見ても
そこからは何も読み取れなかった
ただ真っ直ぐに月の模型を見ている
へぇ…
月のクレーターって、あの月にはウサギがいるとか
餅つきをしているとか本を読んだ女性に見えるとかテレビで言っていた
俺はそうかな?ただのでこぼこの陰影にしか見えないけど…
透くんには何に見えているんだろう
気になって横顔を見つめても、何もわからなかった
「……静かの海」
「え?」
「危機の海、嵐の大洋、涙の海……それぞれのクレーターの名前、月の海の名称」
「…へぇ」
たしかに模型を見てみると下にある展示の説明文に月のクレーターの名前も載っていた
クレーターを海で例えるなんて、なんかお洒落だな
なんて感想しか出ない
「静かの海は1,969年に初めてアポロ11号が月面着陸した場所。宇宙飛行士の三人のうちのアームストロング氏が初めて月面に初めての一歩を踏み出す映像は有名でしょ?」
そう説明しこちらを向いた透くんは
少し微笑みながら顔を向けてくれた
それがなんだか、とても安心した
いやそうじゃなくてよかった
「うん。知ってるよ有名だよね」
たいして詳しくはないがそれぐらいは知っていた
アメリカの偉業だ
「宇宙開発戦争における大きな躍進で、世界中を震撼させたけど、結局のところ真偽が怪しいって噂だったね」
「…そうなの?」
「うん。あれは地球で撮影したものだとか、落ちている石にナンバーがあって撮影の為のセットだとか、現代だと太陽と時間からあの影はおかしいとか、詳しくは僕も知らないけど、怪しいよね」
クスクスと笑う透くん
それは何に対する嘲笑なのか、笑みなのか
「まぁね。人間らしくて、結構だよ」
「……」
そう言って最後に
透くんは一言も発せずに施設を出ていく
俺はその後ろ姿をただ愚直に追うばかりだった
なぜか腹をさすっていた東が想起された
最初のコメントを投稿しよう!