338人が本棚に入れています
本棚に追加
待ちわびた放課後を迎え、指定された駅で降りて、mellowと待ち合わせているカラオケ店へ向かう。
この辺りでは有名なチェーン店で、高級感のある店構えをしており、スタッフの対応も細やかで丁寧な為評判が良い店だった。
中途半端な時間帯なのもあって、フロントはまだ人気が無い。
キョロキョロしていると、女性スタッフが笑顔で声を掛けて来た。
「お連れ様がお待ちです」
mellowの事だろうが、何だか奇妙な気がした。
スタッフに案内されるまま、赤い絨毯が敷かれた廊下を歩く。
部屋はちらほら埋まっており、調子っぱずれの歌声が微かに漏れている。
「この奥です」
角を曲がった先で、スタッフはそう告げ一礼すると、フロントへ戻って行った。
「…こんな奥にも、部屋ってあったっけ」
思わず独り言を呟いた。
この店は何度も利用しているが、こんな奥まで案内された事はない。
もっと手前に、壁があった気がするのだが。
漏れ聞こえる下手くそな歌声もここまでは届かず、しんと静まり返っている。
不安を覚えたが、通路の最奥にあるドアの取手に手のひらを乗せた。
この廊下に、ドアはただ一つしか存在しない。
「お、お邪魔します…」
ドアは難なく開き、桐生を迎え入れた。
一歩部屋の中に入ると、そこは彼の想像を越える別世界が目の前に拡がっていた。
「何だ、この部屋。本当にカラオケ店か?」
いつも使う部屋と比べると、この部屋はかなり広い。
右手に大きなソファとコーヒーテーブルが置かれ、その奥には対面式のキッチンがある。壁に埋め込まれた形の食器棚には、磨かれたグラス等のカトラリーが、きちんと並べられていた。
左手には大画面のカラオケが一応は用意されていて、他の部屋に続いていそうなドアがあるのも奥に見えた。
「何か、マンションのモデルルームみたいだな…」
傷一つ無い大理石の床の先は毛足の長い絨毯が敷き詰められ、スリッパが揃えてある。
靴を脱ぎ、部屋の中を隈無く歩いた。
内装も、用意された様々な家具、雑貨類もチープな所は一切ない。
どれも上質で品があり、部屋全体の雰囲気に合わせてあった。
カラオケを楽しむ為の部屋と言うより、生活する為に用意された感がある。
(…いや、そんな事より)
弾かれた様に、顔を上げた。
mellowは何処にいるんだろう。
申し訳程度に置かれたカラオケセットを通り過ぎ、奥にあるドアを、そっと押し開ける。
開けると中は暗く、良く見ようと目を凝らした。
「……?」
「tukasaさん!来てくれて、嬉しいっ☆」
「ぎゃああっ!?」
いきなり背後から抱き締められ、暗闇の中じたばたと藻掻く。
ぼすん。と柔らかな上に投げ出された瞬間、ぱっとライトが付いて部屋の中が照らし出された。
(ベッドがある…ここは、寝室?)
ベッドの上でうつ伏せになった桐生は急いで起き上がり、背後を振り返った。
さっきの声。
どう聞いても、低い、男の声だった…。
「よう」
笑顔を浮かべ、気安く手を上げた人物は、今日もクラスで見掛けたいけすかない奴だった。
「瀬那…?は?なんで、お前が」
混乱を極めた桐生は、腰が抜けてベッドに座りこんでしまった。
「なんでって、見ての通りだろ」
察しが悪いと言わんばかりに両手を広げる。
「この俺が、mellowちゃんなんだから」
「はあ」
そう言われても、mellowと瀬那が頭の中で結び付かない。
両者の性質は、全く異なるからだ。
「何だよ。反応薄いなー」
不服そうに口を尖らせ、ベッドの端にどっかりと腰を下ろす。
「…混乱してるんだよ。お前が、訳わかんなさすぎて」
それから桐生は、一つ咳払いをした。
「まず、モテの代表であるお前が、女の子のフリしてネトゲしてた理由はなんだ」
「なんか刑事っぽいな。んー、男キャラのケツ見ながら操作すんのダルいし、どうせなら可愛い女キャラ使おうと、思ったんだよ」
それにさ。と、殊更に明るく笑う。
「可愛いくて従順な女の子演じてるだけで、周りの男が勘違いして、レアアイテム貢いでくれるしな!やらない手はないね」
「非モテの敵代表に貢ぐなや…!男共しっかりしろっ…!」
とは言え、自分もガッツリ騙されている。
肩を落とし、はたと思い至った。
「て言うか…。お前のその感じだと、ずっと前からあのキャラが俺だって、分かってたって事だよな?」
瀬那は呆れて鼻を鳴らした。
「やっとそれに気付いたか。そうだよ。mellowとしてお前に近付いた時から知ってた。前にあの…、平井とか言う奴と、ネトゲの話してただろ?キャラクターネームもtukasaとか、そのまんまだしな」
「平田な。…って、自分だけ正体隠しておいて、俺の…恋愛相談とか、今まで聞いて来たのかよ?!」
急に怒り出した桐生に、瀬那は面食らったが頷いた。
「趣味悪すぎだろ、お前!み、ミキちゃんの事だって、あんなに…」
ーあんなに人を応援しておいて、彼女からちゃっかり、告白されやがって…!!
mellowを良い子だと信じきっていた桐生は、騙されていた事実に悔しさと怒りで一杯になっていた。
加えて、これまでの積もり積もった瀬那の不快な行動や言動が、頭の中を何周も駆け巡りだした。
一度怒りが爆発してしまうと、もう、抑えが効かなくなった。
「お前に良心は無いのか?!クラスで威張りくさって空気悪くするわ、平気で人を馬鹿にするわ、騙すわ。それに、この前もオッサン、ボコボコに殴ってただろ!」
彼の剣幕に押され、瞬きも出来ずに息を呑んだ。
「お前みたいな最低な奴は、いじめられる側の気持ちなんて、一生わかんない…」
そこまで言い掛けた時、明らかに瀬那の目の色が変わった。
その目を見た瞬間、桐生は本能が警鐘を鳴らしたのを戦慄の中で聞いた。
ー今すぐ、ここから逃げろ。と。
最初のコメントを投稿しよう!