Ⅰ.男は見た目に弱く、騙され易い

6/7
前へ
/49ページ
次へ
待ちわびた放課後を迎え、指定された駅で降りて、mellowと待ち合わせているカラオケ店へ向かう。 この辺りでは有名なチェーン店で、高級感のある店構えをしており、スタッフの対応も細やかで丁寧な為評判が良い店だった。 中途半端な時間帯なのもあって、フロントはまだ人気が無い。 キョロキョロしていると、女性スタッフが笑顔で声を掛けて来た。 「お連れ様がお待ちです」 mellowの事だろうが、何だか奇妙な気がした。 スタッフに案内されるまま、赤い絨毯が敷かれた廊下を歩く。 部屋はちらほら埋まっており、調子っぱずれの歌声が微かに漏れている。 「この奥です」 角を曲がった先で、スタッフはそう告げ一礼すると、フロントへ戻って行った。 「…こんな奥にも、部屋ってあったっけ」 思わず独り言を呟いた。 この店は何度も利用しているが、こんな奥まで案内された事はない。 もっと手前に、壁があった気がするのだが。 漏れ聞こえる下手くそな歌声もここまでは届かず、しんと静まり返っている。 不安を覚えたが、通路の最奥にあるドアの取手に手のひらを乗せた。 この廊下に、ドアはただ一つしか存在しない。 「お、お邪魔します…」 ドアは難なく開き、桐生を迎え入れた。 一歩部屋の中に入ると、そこは彼の想像を越える別世界が目の前に拡がっていた。 「何だ、この部屋。本当にカラオケ店か?」 いつも使う部屋と比べると、この部屋はかなり広い。 右手に大きなソファとコーヒーテーブルが置かれ、その奥には対面式のキッチンがある。壁に埋め込まれた形の食器棚には、磨かれたグラス等のカトラリーが、きちんと並べられていた。 左手には大画面のカラオケが一応は用意されていて、他の部屋に続いていそうなドアがあるのも奥に見えた。 「何か、マンションのモデルルームみたいだな…」 傷一つ無い大理石の床の先は毛足の長い絨毯が敷き詰められ、スリッパが揃えてある。 靴を脱ぎ、部屋の中を隈無く歩いた。 内装も、用意された様々な家具、雑貨類もチープな所は一切ない。 どれも上質で品があり、部屋全体の雰囲気に合わせてあった。 カラオケを楽しむ為の部屋と言うより、生活する為に用意された感がある。 (…いや、そんな事より) 弾かれた様に、顔を上げた。 mellowは何処にいるんだろう。 申し訳程度に置かれたカラオケセットを通り過ぎ、奥にあるドアを、そっと押し開ける。 開けると中は暗く、良く見ようと目を凝らした。 「……?」 「tukasaさん!来てくれて、嬉しいっ☆」 「ぎゃああっ!?」 いきなり背後から抱き締められ、暗闇の中じたばたと藻掻く。 ぼすん。と柔らかな上に投げ出された瞬間、ぱっとライトが付いて部屋の中が照らし出された。 (ベッドがある…ここは、寝室?) ベッドの上でうつ伏せになった桐生は急いで起き上がり、背後を振り返った。 さっきの声。 どう聞いても、低い、男の声だった…。 「よう」 笑顔を浮かべ、気安く手を上げた人物は、今日もクラスで見掛けたいけすかない奴だった。 「瀬那…?は?なんで、お前が」 混乱を極めた桐生は、腰が抜けてベッドに座りこんでしまった。 「なんでって、見ての通りだろ」 察しが悪いと言わんばかりに両手を広げる。 「この俺が、mellowちゃんなんだから」 「はあ」 そう言われても、mellowと瀬那が頭の中で結び付かない。 両者の性質は、全く異なるからだ。 「何だよ。反応薄いなー」 不服そうに口を尖らせ、ベッドの端にどっかりと腰を下ろす。 「…混乱してるんだよ。お前が、訳わかんなさすぎて」 それから桐生は、一つ咳払いをした。 「まず、モテの代表であるお前が、女の子のフリしてネトゲしてた理由はなんだ」 「なんか刑事っぽいな。んー、男キャラのケツ見ながら操作すんのダルいし、どうせなら可愛い女キャラ使おうと、思ったんだよ」 それにさ。と、殊更に明るく笑う。 「可愛いくて従順な女の子演じてるだけで、周りの男が勘違いして、レアアイテム貢いでくれるしな!やらない手はないね」 「非モテの敵代表に貢ぐなや…!男共しっかりしろっ…!」 とは言え、自分もガッツリ騙されている。 肩を落とし、はたと思い至った。 「て言うか…。お前のその感じだと、ずっと前からあのキャラが俺だって、分かってたって事だよな?」 瀬那は呆れて鼻を鳴らした。 「やっとそれに気付いたか。そうだよ。mellowとしてお前に近付いた時から知ってた。前にあの…、平井とか言う奴と、ネトゲの話してただろ?キャラクターネームもtukasaとか、そのまんまだしな」 「平田な。…って、自分だけ正体隠しておいて、俺の…恋愛相談とか、今まで聞いて来たのかよ?!」 急に怒り出した桐生に、瀬那は面食らったが頷いた。 「趣味悪すぎだろ、お前!み、ミキちゃんの事だって、あんなに…」 ーあんなに人を応援しておいて、彼女からちゃっかり、告白されやがって…!! mellowを良い子だと信じきっていた桐生は、騙されていた事実に悔しさと怒りで一杯になっていた。 加えて、これまでの積もり積もった瀬那の不快な行動や言動が、頭の中を何周も駆け巡りだした。 一度怒りが爆発してしまうと、もう、抑えが効かなくなった。 「お前に良心は無いのか?!クラスで威張りくさって空気悪くするわ、平気で人を馬鹿にするわ、騙すわ。それに、この前もオッサン、ボコボコに殴ってただろ!」 彼の剣幕に押され、瞬きも出来ずに息を呑んだ。 「お前みたいな最低な奴は、いじめられる側の気持ちなんて、一生わかんない…」 そこまで言い掛けた時、明らかに瀬那の目の色が変わった。 その目を見た瞬間、桐生は本能が警鐘を鳴らしたのを戦慄の中で聞いた。 ー今すぐ、ここから逃げろ。と。
/49ページ

最初のコメントを投稿しよう!

338人が本棚に入れています
本棚に追加