対峙

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 智絵里がロッカールームに入ると、電話をすると先に受付を出た日比野が、真剣な顔でスマホを見ていた。  智絵里は邪魔をしないよう、そっとロッカーを開けた。すると日比野が慌てて顔を上げる。 「お疲れ様です。電話は大丈夫でしたか?」 「あっ、うん、大丈夫。ありがとう」 「いえいえ」 「片付けもお願いしちゃってごめんね」 「大した片付けじゃないし、気にしないでください」  その時日比野の手から化粧ポーチが滑り落ち、中身が散乱した。 「やだっ! ごめんね!」 「手伝います」  二人で拾っていると、今度は智絵里のスマホが鳴る。恭介からのメールだった。 『これから迎えに行くから、それまでオフィスで待ってて』  また恭介の心配性かしら。そんなにしなくても大丈夫なのに。 「ありがとう、智絵里ちゃん。篠田くんからメール?」 「そうなんです。なんかオフィスで待つように言われたんですけど……まぁ大丈夫です。日比野さん、今日は急ぎの日ですよね?」  毎週火曜日は日比野が習い事を入れているらしく、いつも早く帰っていた。 「そうなの〜。ごめんね、お先!」  慌てて出て行く日比野を見送り、智絵里はオフィスに留まる。しかし社員が帰って行く中、居心地の悪さを感じ、荷物をまとめ始めた。  恭介の会社からここまで電車で二十分かかる。先ほどのメールが来てから十分しか経っていないため、もう少しかかりそうだった。  エレベーターを降り、外に向かう。  元カノのことがあってから、恭介には通りを挟んだ向かいのビルの中で待ってもらうようにしていた。きっと恭介もそこに向かうはず。そう思い、智絵里が通りを渡ろうとした時だった。 「畑山」  背後から声をかけられた。聞き覚えのあるその声に、智絵里は鳥肌が立つ。 「畑山だろ?」  心臓の音が早くなる。息が苦しくなる。なのに体が硬直して動かなかった。近付いてくる足音に恐怖すら覚える。  震える足を一歩踏み出したものの、腕を掴まれる。だが智絵里は怖くて振り返ることが出来なかった。 「は、離してください……!」  振り払おうとするが、相手の力が強くて、智絵里の力では到底及ばない。 「つれないじゃないか。俺のことを好きだって言ってくれたのに」 「そんな昔のこと、とっくに忘れました! あんたなんて……!」  必死に抵抗するうちに、相手の顔が視界に入る。同窓会では恭介に視界を塞がれたので見ることはなかった。  杉山の顔を見た智絵里は背筋が凍るような感覚に陥る。あの頃よりずっと老けた。でも……どうしてあの頃は気付けなかったんだろう。こんなに卑しい目で私を見ていることに。  ふとあの日のことが思い出され、吐き気を催す。こいつによって私の全てがめちゃくちゃにされた。 「あの頃はかわいかったのになぁ。まぁ今はだいぶ大人の女になった」 「やめて! 気持ち悪い……警察呼びますよ!」 「呼んでどうするんだ? 教師と元生徒かもしれないが、今は成人してるし問題ない。それに恋人だったわけだし」 「あんたなんか恋人でもなんでもない! あんなことしておいて……」  智絵里が怒りを込めて言い放ったが、杉山は不気味な笑みを浮かべる。 「あぁ、やっぱり気付いてたのか。でも恋人なら当然の行為だろ?」 「当然⁈ 最低……! 私は同意なんかしていない。ただうたた寝をしただけ。その間にあんたが勝手に私を犯したんでしょ!」 「おいおい、言葉を慎めよ。まるで俺が犯罪者みたいじゃないか。ちゃんとお前にいいかって聞いたら、うんって言ったんだ。お前は同意したんだよ」  こんな最低な男だったなんて……。あの頃の私はどうして気付かなかったんだろう。部活の優しい顧問の先生、それくらいにしか見ていなかった。 「……話にならない。もう私に近付かないでください。じゃないと警察に行きます」 「何の証拠もないのに? そんなんで警察が信じるわけないじゃないか。それに……そうだ、篠田はこのこと知ってるのか? まさか結婚相手が教師と付き合ってたなんて知ったら驚くだろうな」 「……彼には全部打ち明けた。それを知った上で結婚しようって言ってくれたの。あんたみたいな汚い男じゃないのよ」 「ふーん……じゃあこれ見ても気持ちは揺るがないかなぁ……」  杉山はスマホの画面に映し出されたに写真を智絵里に見せる。それはあの日智絵里の写真だった。血の気が引いて行くのを感じる。こんなものを九年間ずっと持っていたの?気色悪い、吐き気がする。 「最低……! こんなもの……」 「脅しの材料には丁度いいだろ? これを篠田やその親とかに見られたくないならさ……わかるだろ?」 「卑怯者!」 「頭を使えよ。これからの人生のことを考えたら、言うことを聞いておくのが賢いやり方だろ?」  こいつはあの日だけでなく、これから先の私までをもどん底に突き落とすのね……。もう大丈夫だって思っていたのに……。  でも……智絵里は杉山を睨みつける。大丈夫、私にはがある。本当はもっと早くにそうするべきだったんだ。今更後悔しても仕方ない。 「じゃあとりあえず十万でいいよ。あとはそうだな……大人になった畑山に満足させてもらおうかな。篠田にいっぱい可愛がってもらってるんだろ?」 「……!」  思わずかっとなり、殴りかかろうとしたその瞬間、智絵里の腕を誰かが掴む。その腕に智絵里は抱きしめられた。
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