霜の置くまで

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 迎え火という風習がある。お盆に帰ってくる先祖の霊が迷わぬように火を焚き、立ち昇る煙を道しるべにするのだという。  その日の夜、わたしたちは迎え火を焚いた。お母さんとお父さん、そしておばあちゃんも交えて、スイカを食べながら昔話に花を咲かせた。皆一様に笑顔を浮かべて、楽しかったことや、愛していた人のことを話した。  夜が更けて、わたしはひとり火の始末をした。くすぶっていた火種に水をかけると、蒸発音ともに最後の煙が上がった。  その行く先を目で追いながら、これは狼煙(のろし)かもしれない、とわたしは思う。ここで、待っているよ。ここで、生きているよ。そう誰かに伝えるための合図のような。  そう、これからもわたしは生きていく。時が経つにつれ、遠い昔に思いを馳せることはどんどん減っていくのかもしれない。  でも、わたしは何度でも思い出せるはずだ。  そして時々、口ずさむんだ。  いつか望くんが呟いたあの和歌——愛する人が帰る場所をただ直向きに示し続けるその調べを。  ありつつも君をば待たむ打ち靡くわが黒髪に霜の置くまでに  彼が教えてくれたこの和歌のように、わたしは生きていく。自分を見失ったり、道に迷いそうになったときには、望くんを出迎える気持ちで何度でも空の下に立とう。  そしていつか年老いてしまって、白髪のおばあさんになっても、わたしの心はいつだって、あの幸せな日々に還ることができるのだ。愛しい人を待っている、その間だけは。
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