霜の置くまで

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「あんた、帰ってくるならひとこと連絡ちょうだいよ」  台所からお母さんの声が飛んでくる。 「別にいいじゃん、自分の家なんだし」 「そんなこと言って、帰ってきたの何年ぶり?」 「うーん、おじいちゃんのお葬式以来だから……五年ぶり?」  水滴を纏った麦茶入りのグラスを揺らしながら、わたしは言った。 「ほんと、顔もわすれそうだったわよ」と言いながら、お母さんがちゃぶ台の斜向いに座る。   軒先に吊るされた風鈴が鳴っている。実家というのは不思議な空間だ。久々に敷居をまたいだ瞬間は余所の家の匂いがすると感じたのに、ほどなくしてこれが正しい空気なのだと本能が認識している。 「おばあちゃんは?」 「元気よ、身体はね。そういえば、そろそろ迎えにでる頃ね」 「お迎えって、誰の?」  「そりゃ、おじいちゃんでしょ」  お母さんが事も無げにこたえる。 「どういうこと?」 「おじいちゃんが亡くなってから毎日、この時間になるとああなのよ」  呆けてきちゃったのかねえ、と母が哀れむような調子で言う。  時計の針は、夕方の六時を指していた。確かに、生前のおじいちゃんをおばあちゃんが迎えにでていたのは、この時間だった。  わたしは畳の上で仰け反り、掃き出し窓から外を覗く。藍色の日傘を持ちながら玄関先で佇むおばあちゃんの後ろ姿があった。 「寂しいのはわかるけどねえ。いたたまれなくて声もかけられないわ」とお母さんは言った。 「あんたもよ。そろそろ、前に進まなくちゃ」  違うよお母さん、とわたしは内心呟く。わたしは前に進もうとしすぎているんだ。
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