キセキの気持ちはわからない

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 スタッフさんに書類の束を手渡しながら、視線をもう一度、ビロード風の布が張られたトレイに置かれた携帯電話に落とす。今は電源が落とされているそれは、白くつるりとしているけれどもよく見ると細かい傷が浮かんでいる。  そう。中古品である。  この携帯電話は、私が苦手な中古品で、これからどれだけ長く所持したとしても芯から「自分のもの」になることはない借りものだ。 「それでは、名義変更の手続きをさせていただきます。書類も、確かに承ります」  この中古の携帯電話の元の持ち主は、神崎奇跡という。  彼女は私の姉であり……、 「神崎様。この度は、ご愁傷様でございます」  ……先月急死した故人である。  神崎奇跡の訃報が届いたのは、ちょうど大学の昼休みだった。  スマートフォンの電源を入れると同時に着信があり、うわずった声の母が彼女の死を告げた。  まずは、素直に驚いた。  姉は私の五つ年上なので、二十六才だ。それが、急死なんて。  次にやってきたのは、疑念だった。  持病があったとは聞いていない。彼女は美しく健康だった。そんな姉さんが急死ということは事故か、それとも自殺か。とにかく、「普通じゃない」ことが起きているのではないかという気分になった。後から冷静に考えれば、人間なんて普通に死ぬのに。  数分間、姉の死にまつわるミステリーとサスペンスを夢想して、そして最後に安堵した。  神崎奇跡。  彼女は私の姉であり、我が家の神様だった。  美しく、賢く、完璧な女性。彼女に会った人は誰もが彼女を崇拝する。  その名の通り、人の形をとった奇跡。  それが、神崎奇跡だ。  彼女が姉である、ということは、しばしば私を苦しめた。彼女は紛れもなく自分と同じ人間なのに、まるで周囲は彼女を神様か何かのように扱う。そうすると、自然と私はおなじ母から生まれたはずの神様のなり損ないになる。  驚き、疑念、安堵。  それが、神崎奇跡の死に際して抱いた感情のすべてだ。  ――旅先で立ち寄った崖からの、転落死。  それが、聞かされた奇跡の死因だった。一人旅だったそうだ。不慮の事故、という言葉はあまりにも現実感がなかった。圧倒的なカリスマで神様みたいに扱われていた、美しく聡明な姉の死はあまりにもあっけなく、そしてありふれたものだった。
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