1.失恋

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1.失恋

 ずっと好きだった男が、目の前で別の男と手をつないでいた。  視線を重ね、微笑み合う若い二人の姿を、武史(たけふみ)は黙って見届けることしかできなかった。割って入る隙間はない。(よう)()はこっちを見ていない。  陽多の隣にいる男、佐竹(さたけ)(ひかる)は、唐突に、降って湧いたように陽多と武史の前に現れた。陽多の母と、光の父親が再婚し、二人は義理の兄弟になったのだ。  陽多が弟で、光が兄。彼らは新しい両親と離れ、二人暮らしを始めたばかりだ。最初から嫌な予感はしていたけれど、思ったとおり、二人の関係は義兄弟の枠をいとも簡単にはみ出した。  からだの線は細く、風が吹けば飛んでいってしまいそうな光と、陽多は嬉しそうに「行ってきます」の口づけを交わしている。出会って八年、陽多だけを一途に想い続けてきた武史の目と鼻の先で。武史がいつものように玄関先まで迎えに来ていることなどお構いなしに、陽多はまるで見せつけるように、光との愛を確かめ合った。  武史の車の後部座席に乗り込むと、陽多は途端に表情を変える。  一歩家から出れば、そこにあるのは国民的俳優・志波(しば)陽多の顔。さっきまで光を相手にデレデレしていた二十歳(はたち)のゲイの姿は消え去る。  武史は、陽多が子役の頃から連れ添ってきた芸能マネージャーだ。世界的にヒットした映画に出演させ、陽多を一躍スターの座まで押し上げた陰の立役者である。  デビューしたての小学生時代は天使のようにかわいかった陽多だが、歳を重ねるごとに男の色気を増していき、日に日に凛々しく、かっこよくなっていった。変わりゆく陽多の姿を誰よりも近くで見てきた武史が陽多に惚れてしまうことは、避けられない必然だった。  想いを告げるつもりはなかった。陽多のそばで、彼の活躍の支えになれれば幸せだった。  陽多のためならなんだってできた。陽多の芸能活動を邪魔する者は容赦なく排除した。彼の俳優人生を守ることこそ、マネージャーである自分の使命だと信じて疑わなかった。  陽多本人にも、他人との交際について慎重になるように言ってきた。恋愛関係はもとより、友人もよく考えて付き合うようにと。いつ、どこで、誰に足を引っ張られるかわからないのが芸能界だ。生き残っていくためには、時に心を鬼にする必要があった。  だが、それが裏目に出た。武史の助言を真に受け、ろくな友達を作ることができず孤独だった陽多は、偶然にも兄を手に入れたことで、彼に依存するようになった。  光に(ほだ)されたわけではない。陽多のほうから光を好きになったのだ。世間にはあくまで『義兄弟』で通すつもりだというが、二人が互いに向け合う愛情は本物だった。光もまた、陽多のことを心から愛していた。  ある種の束縛だったのだ。陽多のためを思って動いてきたつもりが、いつの間にか、陽多を孤独の海へと沈ませていた。  陽多は逃げた。耐えがたい孤独から。武史の束縛から。  深い海から這い上がり、光との交際を武史に堂々と宣言した。今から二日前のことだ。  認めるしかなかった。それが陽多の幸せなら、仕方がない。そもそも陽多は、武史が陽多に対し仕事上のパートナー以上の気持ちをいだいていることを知らないのだ。どれだけつらくても、陽多のためなら自分の気持ちを胸の奥へしまい込むことくらい、さらりとできなくてはいけない。――オレは、陽多のマネージャーなのだから。
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