7.彼が気づかせてくれた答え

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7.彼が気づかせてくれた答え

 (こよみ)が十一月に替わった途端、外の空気が急に乾いたものになった。  肌に触れれば、ナイフのように鋭く細い傷跡をつけていく。それくらい冷たく、痛みさえ覚える風の吹く朝だった。 「すいません、五十田さん」  約束どおり、八時半に陽多を自宅まで迎えに行ったが、出てきたのは陽多ではなく光だった。同居している陽多の義兄だ。  またの名を、陽多の恋人。陽多とは真逆の、華のない地味な大学図書館員。 「もう準備できますから。――おい、陽多! 早くしろ!」  家の奥から「ちょっと待ってー」という陽多の情けない声が聞こえてくる。寝起きらしい。  胸の奥がチクリと痛む。顔に出ないよう、武史は腹に力を入れた。  少し前まで、だらけきった朝の陽多を()かすのは武史の役目だった。子どもの頃からの習慣で、陽多も武史に甘えていた。  でも今は、甘える相手が代わってしまった。  光に。愛する人に。  これから何度、こうした光景を目にするだろう。陽多の心に間違いなくあったはずだった武史の場所は、どのくらい小さくなっただろう。  昨夜のことを思い出す。理仁と過ごした甘い時間。  最高の夜だった。記憶は鮮明で、理仁の愛くるしい笑みはすぐにでも脳裏によみがえる。  だからこそ迷う。  オレはすぐにでも、理仁のもとへ行くべきなのだろうか――。 「あの」  ぼーっと玄関先で突っ立っていると、光に顔を覗き込まれた。 「大丈夫ですか」 「……私ですか?」 「はい。昨日、陽多が心配してたんで」 「心配」 「えぇ。『五十田さん、なんか元気ないんだよね』って。体調悪いのかも、とか」  武史は目を見開いた。「寒いですし、家の中で待たれます?」と言った光の声はほとんど耳に届いていなかった。  高い秋の空を静かに仰ぐ。  そう、志波陽多とはそういう男なのだ。無条件で他人に優しくできる男。気をつかいすぎるところがあるくらい。  武史はマネージャーだ。ただの奴隷。それでも陽多は、武史を一人の人間として扱ってくれる。男としては見ないけれど、決して無視はされない。  だから好きになった。鬼になりきれない、優しいところに惚れた。  いけないとわかっていても、陽多と同じ時間を過ごせば過ごすほど、陽多を好きになっていく。陽多の優しさに溺れていく。  見えない(やいば)にどれだけ傷つけられようと、この気持ちに歯止めがかかることはない。二人の人生が交差し続ける限り。 「ごめんなさい、五十田さん!」  ようやく陽多が玄関先に姿を現した。あとでプロのヘアメイク担当がセットするとはいえ、漆黒の髪には寝ぐせがついたままだった。 「さぁ、行きましょう。――行ってくるね、光くん」 「おう。がんばれよ」 「光くんも、お仕事がんばって」  武史の目の前で、二人は短くキスをした。腹の底から鈍いなにかがせり上がってくるのを感じる。
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