7.彼が気づかせてくれた答え

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 陽多を後部座席に乗せ、武史の車は無言のうちに走り出した。撮影スタジオまで十五分とかからない。  頭の中で、陽多の顔と理仁の顔が交互に浮かんでは消えていく。陽多と過ごした八年間。理仁と過ごした昨日の夜。  前に進まなければいけない。そう思えば思うほど、答えを出せなくなっていく。ある種の呪縛のように、その言葉は武史のからだにまとわりついて離れなかった。  信号が赤になり、武史は静かにブレーキを踏んだ。不意に、背後から腕が伸びてきた。  陽多の手のひらが、武史の額に当てられる。ひんやりと冷たい感覚に驚き、「うぉっ」と思わず声が出た。 「なんだ、いきなり……!」 「だって、やっぱり元気ないんだもん」  後部座席から顔を覗かせた陽多は、「熱はなさそうだね……」とその瞳をかすかに揺らして武史を見ていた。武史は「大丈夫だ」と陽多から視線を逸らす。 「心配かけてすまない。いつもどおりでいるつもりなんだが」 「昨日、リフレッシュできなかったの?」 「そんなことはない。ゆっくりできたよ。ありがとう」 「嘘がヘタだね、五十田さん」  芝居のセリフのような口調で陽多は言った。 「なにかあったんでしょう?」 「なにもないよ」 「僕には言えないこと?」  武史は横目で陽多を見る。信号が青になり、ゆっくりと車を発進させた。 「ねぇ、五十田さん」  再び後部座席に背を預け、陽多は言った。 「大きな病気が見つかったとか、そういう話じゃないよね?」  バックミラーの中で目が合う。陽多は真剣な顔をしていた。 「仕事、やめたりしないよね?」  的の中心ははずれていたが、陽多の勘は想像以上に鋭かった。  武史が自分から離れていこうとしている。陽多の直感が、ピュアで繊細な彼の心にそう語りかけているらしい。  どうして、わかってしまったんだ――。  武史は苦笑した。八年も一緒にいれば、互いの腹の中はスケスケということか。あるいは、武史だけが盲目的に陽多を想っていたのかもしれない。逃げられてしまうことなど、微塵も想像しなかったのだから。 「嫌だよ、僕」  陽多は履いていたナイキのスニーカーを脱ぎ、座席の上で膝をかかえた。 「五十田さんがいなくなったら、困る」  胸に()みる、すがるような声だった。  呼吸が止まりそうになる。胸が苦しい。  陽多が求めてくれている。嬉しさと苦しさが同時に襲いかかってくる。  ――ぼくのところへ来なよ。  理仁の誘いがよみがえる。  ――仕事、やめたりしないよね?  陽多の願いが心に刺さる。  どうする? どうすればいい?  どうすればオレは、納得して前に進める?  ――ぼくはもう、きみのことが好き。  ハッとした。最後に耳の奥で響いたのは、理仁がくれたまっすぐな愛の言葉。  好き。  人の心を無条件であたためてくれる、魔法の言葉。決して無視してはいけない、武史の中にも存在している優しい感情。  ハンドルを強く握る。  そういうことだったのか、理仁。  きみはそうやって、前に進もうとしていたんだな――。
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