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8.青がよく似合うきみと
『Bar KAIMORI』の扉をくぐった時には、午後十時を回っていた。
カウンターに立つ貝森と目が合い、「いらっしゃい」と微笑まれる。今日はマスカレイドマスクをしておらず、見慣れたワイルドな素顔で迎えられた。
貝森の視線が武史から、彼のすぐ前のカウンター席に座る茶髪の男へと移された。見覚えのあるシルエットだ。
「待ち人のご登場ですよ、お客さん」
男が武史を振り返る。
理仁だ。「やぁ」と軽く手を上げられ、武史はまっすぐ彼の隣の席へと向かった。
「すまない。遅くなった」
「構わないよ。マスターが話し相手になってくれた。ついでに営業もしちゃった。うちと契約してるデザイナーのインテリア、この店に合いそうなのがいくつかあって」
愛らしく舌を出す理仁に貝森は肩をすくめ、「なに飲む、武史?」と尋ねてきた。
チェリーの沈んだ真っ赤なカクテル、マンハッタンを頼み、理仁のブルーパシフィックとグラスを重ねた。昨日の席で相当気に入ったらしく、理仁は今夜もそればかりを飲んでいると貝森が明かした。
ごゆっくり、と言い残して貝森が二人の前を離れると、理仁はさっそく「それで?」と水を向けてきた。
「答えが決まった、ということでいいのかな?」
横顔を見つめられる。その視線に、すぐにはこたえなかった。週のはじめということもあり、今夜の客入りはまばらで、優雅なジャズピアノのメロディーが流れる店内は静けささえ感じるほど落ちついていた。
「昨日、どうしてオレに声をかけた?」
ゆっくりと理仁に顔を向ける。理仁は湛えていた微笑を消した。
「その質問にはもう答えたはずだよ」
「そうだったな。じゃあ、訊き方を変えよう」
マンハッタンのグラスを脇へ寄せると、武史は上体をしっかりと理仁へ向け、ある人物の名を口にした。
「西岡永輝」
理仁は驚きをその顔に映した。
「きみがオレに声をかけたのは、その男が理由だろう?」
まさか、とでも言いたげな表情で、理仁は武史をじっと見つめた。なぜ武史の口からその名前が――そう思っていることは明白だった。
やがて、理仁は観念したように小さく息を吐き出した。
「調べたんだね、ぼくのこと」
「きみ個人のことじゃない。きみが興した会社についてだ」
どっちでもいいよ、と理仁はぶっきらぼうにつぶやいた。グラスに半分ほど残っていたブルーパシフィックが、理仁の喉の奥へと一気に流し込まれる。
「どうにも腑に落ちなくてな」
黙ってしまった理仁に、武史は落ちついた口調で話した。
「オレのことなんてまともに知りもしないくせに、今以上の年収を保証してまでオレを引き抜こうとした理由がわからなかった。当然、オレの能力を買ったわけじゃない。だとするなら、きみは社長としてではなく、完全に個人的な事情でオレを会社へ迎えようとしたわけだ。それも、幹部役員として」
「そうだよ」
理仁は開き直ったような態度で言う。
「ぼくはきみに一目ぼれしたんだ。一緒に働きたいと思った。それって、いけないこと?」
「いけなくはない。ただ、オレをかつての相棒の代理に据えようっていう意図なら、話は別だ」
理仁の表情が変わった。感情は消え去り、ただ武史の目をじっと見つめる。
「西岡さんは、『カラフルアイディア』の共同経営者だったそうだな」
自分の職務をまっとうしつつ、今日一日で調べたことを武史は少しずつ語り始めた。
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