8.青がよく似合うきみと

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 嘘じゃなかった。武史の中に、理仁を想う気持ちは確かにある。  理仁の丸い瞳が揺れた。 「本当?」 「あぁ。だけど、すまない。きみの会社に移る話は、なかったことにしてほしい」 「どうして」  意図せず上目づかいになっている理仁の両手を、武史はそっと包み込んだ。 「きみとの新しい恋を、過去を忘れるための道具にしたくないから」  それが、武史の出した答えだった。陽多が気づかせてくれた、大切なこと。 「オレもきみと同じなんだ。今でも陽多のことが好きで、その気持ちにケリをつけられていない。それでもオレは、きみのことを好きになれた。陽多と同じくらい、今はきみのことを想ってる」  日中、早く理仁に会いたくてたまらなかった。いい芝居をする陽多の姿を見ていてもなお、理仁の顔が脳裏をちらついて離れなかった。  それほどまでに、理仁の存在が武史の中で大きくなり始めていた。だからこそ、理仁の前では正直でいるべきだと思った。 「もっときみのことが知りたいし、オレのことを知ってほしい。だから、あえて言う。オレは今でも、陽多のことが忘れられない」  武史、と理仁はつぶやいた。武史ははっきりとうなずいた。 「きみも忘れなくていい。西岡さんのことを好きなままでいればいい。オレは陽多を好きになれたことを嘘にしたくないし、いつまでも誇っていたいと思ってる。きみにも同じように、西岡さんと過ごした時間を誇りに思っていてほしい。副社長の椅子だって、無理に埋める必要はないんだ」  理仁は黙った。武史の紡いだ言葉をどう受け止めるべきか、今はまだ迷っているようだった。  理仁、と武史は彼の名を呼んだ。 「オレは基本的に、特定のパートナーを作らない。でも、きみとなら」  迷う心に触れるように、武史は理仁の片頬を包み込んだ。 「きみとなら、同じ道を歩きたい」  こんな気持ちになれたのは、ずいぶん久しぶりのことだった。  盲目的に、一方的に陽多のことを愛して、時々、貝森の優しさに甘えて。  誰かから同じ気持ちが返ってくることを、長い間期待していなかった。バカらしいとさえ思っていた。  けれど今、同じ気持ちになりたいと思える人が目の前にいる。その幸せを知ると、無性に手放したくなくなる。  人目があるにもかかわらず、武史は理仁と唇を重ねた。理仁は一瞬驚いて、けれどすぐに、妖艶に目を閉じてくれた。 「好きだ、理仁」  改めて、大切な気持ちを声に出して伝えた。 「こんなオレでよければ、一緒になってほしい」  飾らない言葉で、理仁にまっすぐ届くように。  理仁もちゃんと武史の目を見て、正直にこたえてくれた。 「嬉しい」  愛らしく笑う一方で、瞳には涙が浮かんでいた。 「幸せ者だ、ぼくは。こんなにも優しい人に愛されて」 「優しいのはオレじゃない。きみだよ」  理仁は首を横に振った。 「どうしよう。泣いちゃうくらい嬉しい」 「泣いていいよ。オレの前では、我慢しなくていい」  涙を拭う理仁の頭を、武史は優しくなでてやる。しばし、静寂が二人の空間を支配した。  飲み直そう、と武史が言った。貝森を呼び、ブルーパシフィックを二杯頼む。  グラスを重ね、甘いブルーのカクテルに舌鼓を打つ。  二人の心に芽生えた新しい恋を、どこまでも澄んだ美しい青がさわやかに彩ってくれるようだった。
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