4.どうしてオレじゃダメなのか

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4.どうしてオレじゃダメなのか

 男は古藤(こどう)理仁(りひと)と名乗った。素性を隠すつもりはないらしく、名刺まで渡された。 「代表取締役って……」  二人は理仁が仕事でよく使うという西新宿のバーへ移動していた。超高層ビルの四十六階にあり、今はカウンター席に座っているので背にしているが、まるで天空から眺めているような絶景の拝める落ちついた店だった。 「理仁、社長なの?」  手渡された名刺を見て驚く武史に、理仁は至ってカジュアルに「そうだよ」と答えた。 「社長って言っても肩書きだけだけどね。小さな会社だから、営業は自分でするし。企業の代表というより、クリエイターたちのまとめ役っていう意味合いのほうが強いかな」 「クリエイター?」 「そう。うちの会社、クラフトデザイナーって言って、世の中にあるいろんな素材から作る工芸品や生活用品の職人さんたちを相手にしているんだよ」  どんな会社かと思えば、芸術関係とは意外だった。理仁は身に着けている黒いVネックのカットソーの両袖を軽くまくり上げ、ゆっくりと語り始めた。 「ぼく、美大でクラフトデザインを専攻していたんだ。木製の家具を作る人になりたくて。卒業後に一度、大手の家具メーカーに就職したんだけど、やっぱりそういうところはいろいろと制約が多くてさ。なんていうか、物足りなくなっちゃって」 「それで、会社をやめた?」  理仁は黙ってうなずいた。 「もっと自由な発想で、おもしろいものを作りたいと思ってね。そんな話を美大時代の友人にしたら、『じゃあ、一緒に会社作ろうよ』って」  理仁の茶色がかった丸い瞳に、昔を懐かしむような色が浮かぶ。彼が友人とともに会社を(おこ)したのは今から五年前のことだそうだ。当時、二十五歳だったという。 「最初は純粋に工芸品やインテリアの受注・生産をしていたんだけど、会社が軌道に乗れば乗るほど、ぼくの中で『作る』よりも『売る』っていう作業がどんどん楽しくなっていっちゃってね。自分たちのアイディアを、自分たちの手で売る。ぼくらのことなんて全然知らない人たちに、ぼくらのことをわかってもらう。その過程がおもしろくて、気づいたら職人から営業専門の社員に変わってた」  理仁は声を立てて笑った。思い描いていた未来とはやや違うところに今はいるようだが、それでも彼が、彼自身の力で切り開いた人生を心から楽しんでいることは伝わってくる。 「『カラフルアイディア』っていう会社の名前もね」  武史の手の中にある自分の名刺を見ながら理仁は語る。 「もともとは『色とりどりの発想で、自由になんでも作ります』っていう意味からスタートしたんだけど、世の中にはぼくらが思いつくものの他にもたくさんの自由な発想が転がってるよなってことに、ある日、唐突に気づいてね。それらをかき集めたらもっとおもしろいことができるんじゃないかって、三年くらい前に企業形態を変更したんだ。プロアマ問わず、個人で活動しているクラフトデザイナーの作品を募集して、ぼくが彼らに代わって宣伝したり、直接売りに行ったりする。デパートの催し物会場で即売会を開いたり、雑貨屋の一角に商品を並べてもらったり。もちろん、オンラインで販売もしてる。作家同士の交流の場を提供することもある。言ってみれば、登録制の人材バンクみたいなものだね。ぼくらだけじゃなくて、もっとたくさんのアイディアが集まる場所にしたかったんだ」  彼は理想主義者であり、冒険家でもあるようだった。追い求めた理想のために妥協は一切せず、現実のものとしてその手に掴むまでただひたすらに走り続ける。  あまりにもまぶしい生き方だ。だが、嫌いじゃない。誰にも流されたくない、自分の信じた道を行きたいという思いが根底にあるという意味では、武史も彼と同じだった。  まだ見ぬ世界を想うように、理仁はどこでもない遠くを見つめる目をして言った。 「日本じゅうに埋もれているたくさんの才能を発掘して、全世界に発信していく。色とりどりのアイディアで世の中を彩り、豊かにする。それが今のぼくの仕事。より多くのクリエイターと世界じゅうの人々をつなぐ架け橋みたいな感じかな」  語り終えた理仁は微笑み、モスコミュールで喉を潤した。元家具職人という話を聞いたせいか、細くて長い、色白な彼の指は確かに器用そうで繊細に見えた。 「立派だな」  心からそう思っていることが伝わるように、武史はきちんと理仁の目を見て言った。 「尊敬するよ。若いのに、自分のビジョンをしっかり持ってて」 「若いって言っても、もうすぐ三十だよ。三十路(みそじ)」 「若いじゃん。オレなんかアラフォーだよ」 「うそ、いくつ?」 「三十六」 「えぇ、意外! てっきり同い年くらいかと思ってた」  曖昧な笑みを浮かべ、武史はドライマティーニのグラスを傾けた。見た目より若いと褒められているのか、まだまだガキだなと(けな)されているのか。理仁のリアクションはやや大げさで、その真意は読み取れなかった。  グラスをテーブルへ置くと同時に、ジャケットのポケットの中でスマートフォンが着信を知らせた。「ちょっとごめん」と理仁に対し断りを入れ、武史は画面を確認した。かけてきたのは陽多だった。 「もしもし」 『あ、五十田さん? お疲れ様です』 「お疲れ様。終わったか」 『うん。五十田さんは? のんびりできた?』 「おかげさまで。それより、タクシーは? ちゃんと拾えたか?」 『大丈夫。光くんにお願いして迎えに来てもらったから』  思いがけない名前が飛び出し、武史は一瞬言葉に詰まった。  光。陽多の義兄(あに)。陽多の、恋人。  陽多の送迎は自分の仕事だったはずなのに、それさえもあの男に取られたのか――。 「そうか」  静かに目を閉じ、どうにか声を絞り出した。 「くれぐれも気をつけて運転するようにと佐竹さんに伝えてくれ。明日の朝は今日と同じでいいか?」 『うん。お願いします』 「じゃ、八時半に」 『はい。おやすみなさい』  おやすみ、と返し、電話を切った。ため息を漏らさずにはいられなかった。
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