牙と追憶

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 ふと、思い出した。  夢の中出て来た弟鬼に思い当たる人を。  俺の実家は同じ市内の山がほど近い場所にあった。その山の上には寺があって、そこでよく遊んでくれた人があの弟鬼に似ていたような気がする。  いや、違うところも多い。  あの弟鬼はせいぜい10歳ほどの年に見えたがあの人は18くらいだった。それに目の上に怪我をしてそれを長めの髪で隠していた。それからとても優しくて、そう、夢に出てきたあの弟鬼とは雰囲気がまるで違った。  あの人はなんだか木漏れ日のような暖かさがある人だったけど、夢の弟鬼は何というか人間と思うには少し無理があった。角と牙という容姿以上に、雰囲気が人間と隔絶していたのだ。  あの人とはどんな話をしただろうか。  双六や独楽なんか古い遊びをしながら学校の話、友達の話、どんな話でも楽しそうににこにこ聞いてくれたような。まるで年の離れた友人のような。そうだ。それで頭をよく撫でてくれてもっと話を聞きたいと言ってくれた。  毎日学校が終わると山を登ってその日の話をして、焼き芋を焼いたりスイカを切ってくれたり、そうだそれから陽が沈む町を眺めた。  境内は北向きで眼下に平野が広がっている。  夕刻。東の海から夜が満ちて波が押し寄せるように暗くなる。それで正面の高層ビル郡が西側から照るその日最後の陽光を受けてたくさんの複雑で深く長い陰を拡散させ、それが丁度東側から伸びた闇のグラデーションに捕まった瞬間、陽が落ちて真っ暗な夜が来る。  その美しくも少し恐ろしい光景。何故忘れていたんだろう。 「明日も君に良き日が昇りますように。さぁ、お帰り」  すっかり日が暮れたら俺は家に帰った。  懐かしくも優しい声。  俺は右手に残った犬歯をもう1つ残った首筋の痣に当てた。  ラウンジのガラスに照り返す俺の姿。その首筋に2つあったはずの痣が1つになっていたから。
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