牙と追憶

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◇ 「兄さん、静かに」 「だが」  蒸し暑くざわざわとした人いきれ。それがすぐ背後から聞こえる。漂う濃厚な血の香り。それは全て自らから漂っていた。背中に刺さった破魔の矢が体から力を奪っていく。術で薄く霧をかける。この祠が見つからないように。  なんだか矢が刺さった部分からストローで吸い上げるように何かが吸い出され、空気に拡散していくようだ。意識が途切れかける。 「大丈夫か、おい」  兄のささやくような、けれども切羽詰まった声がする。心配してくれているのだろう。けれども私にはよくわからなかった。もとより、人の感情というものはよくわからないのだ。  けれども兄さんは血を分けた兄。だからとても大切な人だった。自らと同じものだから。  私は辻鬼だ。そう呼ばれていた。  今は呼ばれていない。もう辻斬りはしていないから。  私と兄は生まれた村を襲った後、少し離れた山の奥に結界を張り、ひっそりと暮らしていた。兄は狩人と知己を得て技を習い獣を狩って町で売った。山を開き、稲を植える。  私の姿は人ではなかった。だから私は外に出ていくことはできなかったけど、兄との二人の暮らしに不自由はなかった。  そんな暮らしをご年ほど続けていたのに、その生活は崩れ去る。  
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