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恐らく不快感を招くことになると思うが、日本国憲法第二十一条に則って私は以下に拙文をしたためるものである。
成功者、例えば曲が大ヒットしているアーティストがゲストとして来ると、インタビュアーであるパーソナリティは矢鱈に褒めそやす。よいしょし捲るのだ。するとゲストは仮令空々しさを感じていても一々ありがとうございますと決まり文句のように言う。そしてパーソナリティがこの曲大好きですなぞと言うと、ゲストは矢張り仮令空々しさを感じていても嬉しいですと決まり文句のように言う。聞き手もゲストも紋切り型の金太郎飴的発言を必ず織り交ぜるのだ。で、第三者が聞いたら何も面白くないことでも申し合わせたように笑い合ってへらへらしながら時間を空費してゲストコーナーの締めくくりにお互いに矢張り仮令空々しさを感じていても楽しかったですと決まり文句のように言うのである。パーソナリティはどんなゲストが来ても成功者だから友好を示せばメリットがあるとの下心から、ゲストも毎度お馴染みの予定調和な和み合いと分かっていてもパーソナリティにもリスナーにも好印象を与えられるから友好を示す。皆、上滑りだから打算的にしていても好印象を受けるのだ。
大人の付き合いって皆、相手が自分にとってメリットがあれば、件のように大体似たようなことをして遣り過ごすことになる。だから肝胆相照らすなぞという誠実な付き合いは皆無に等しくお座なりの嘘に塗れた、そして今時の風潮、特徴でへらへらした付き合いしかできないのだ。それが大人の関係を友好に保つ礼節であるかのように・・・
だから皆、マンネリに惰性的に堕落する。こういう生き方が慢性化しているのだ。僕はこういう奴らを見るにつけ腹立たしくなる。だからいつも怒りが蟠踞してしまう。憚りながら倫理的に潔癖という意味で癇性だからしょうがない。因果なものだが、世の中の人間関係が健全でないからいかんのだ。こんな世の中だと、正直者が馬鹿を見ることになる。ほんとにそうなんだから遣る瀬無くなる。
正直に言えない世の中。譬えるなら悪しきキングメーカーに忖度して汚職を糾弾できない自民党内の討論みたいに何も言いたいことが言えない世の中。そう言えば、見切り発射と言うべきか、治験もそこそこに極端に言えば国民を実験用のモルモットにするような安全性に疑問が持たれているワクチンを使用しているが、接種後、公表されている数字の何倍も死亡する事例があるらしく大本営発表の如く誤魔化している上、ワクチンと死亡の因果関係はないとマスコミは報道している。事実ワクチンが免疫機能を活性化すると、サイトカインストーム(免疫の暴走状態)が生じることがあり、この暴走によって心筋梗塞や脳卒中を発症して突然死することがあるにも拘らず医師が徒でさえ接種後の死亡例を報告する書類を作るとなると非常に手間がかかるのにワクチンを打てば打つ程、政府から報酬をもらえる立場上、医師会に面倒な案件を報告したとされ、睨まれたくない所以から厚労省に報告しないのだ。仮令報告してもワクチンと死亡の因果関係を認めたがらずワクチンを推し進める立場の厚労省は隠蔽するだろう。これでは隠れ副作用死亡者がどんどん増えるに違いないのにワクチンの副作用で死んだと言うと、リスクを冒してまで打つ必要はないと言いたいだけなのにワクチンを否定する気かとバッシングされる。で、言えない。まるで戦時中の軍事統制下にあった日本のように発言が制限されているのだ。否、いつの時代も大体そうだから今やITの進歩のお陰でマスコミだけでなくユーチューブとかSNSとか色んな形で一般の国民も発信できるようになったのに真実を語るとバンされる。オープンな情報を宣布できないのだ。何が言論の自由だ。張りぼて憲法め。
僕はこれを書いていて思った。このウィズコロナの時代を生き抜くにはワクチンに頼ることなく自ら免疫を作るしかないと。獲得免疫のことだ。何しろ幾ら最新のワクチンを開発してもその度に新型コロナウィルスは変異株となって対抗してくるし、ワクチンの効き目は数か月と限られているからワクチンに頼っていては何回も打たないといけないことになり仕舞には常に副作用に苦しみながらもワクチン依存症になりかねないかもと恐れるに至ったからだ。
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