亡霊のピクニック

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「亡霊のピクニック」  その日は刷毛(はけ)で墨を塗ったような空模様だった。  一雨来そうだったが、僕は入学早々に始まった仮入部期間のために文芸部を目指していた。  中学でも文学部だったけれど、どうもそういう傾向があるのか、文芸部員はライトノベル好きばかりで、僕のような大衆文芸好きはいなかった。  僕は純文学が苦手で、大衆文芸が好みだ。高校で同好の士を見つけられればと思って、今日は文芸部にお邪魔することにしていた。ちょっとくらい雨に降られたっていいさ。まあ、あまり期待はできないけど。  中学でも文芸部といえばオタクっぽいと馬鹿にされがちだった。僕はまた馬鹿にされるぐらいなら運動部に入ってみようかとも思っていた。 (文芸部……。ここか)  図書室に隣接して文芸部の部室はあった。僕がノックをすると、中から「どうぞ」と女子の声がした。僕はドアを開けて、中に入った。  中には一人の女子がいて、椅子に座って部誌らしき束を読んでいた。  女子は僕の方を見もせずに声をかけてきた。 「変わり者だね。見学初日に文芸部に来るなんて。中高の文芸部員としての凸凹した小説なんて、部誌にまとめて世に出すだけ恥にしかならないよ」  いきなり失礼な子だな、と思った。先輩かと思えば、シューズの色で一年だと分かった。彼女も見学者のようだ。 「いいんだよ、別に。僕は中学生や高校生の凸凹した小説だって、成長の記録として楽しめる質だから」  女子は僕の言葉にくすっと笑った。 「素敵な考え方だね。私、そういう前向きな姿勢は好きだけど、ちょっと真似できないかな」 「君はずいぶんと上から目線でいるんだね。文芸部を茶化しに来たの?」 「いいや、違うんだ。ただ、ちょっと意地悪をしただけでね。ごめんよ」  僕はむすっとしながら彼女の向かいに座った。  そして、図書室で事前に借りていた沖縄のシャーマンが主人公の物語を読み始めた。部員が来るまでそうしていようと思っていると、女子が目を細めて僕を見つめていることに気づいた。 「なに?」 「私のこと、性格が悪い女子だと思っているだろう?」 「思っているよ」  彼女はまたくすすっと笑った。 「そうなんだ。私、性格が悪いんだ。だからそれを知ったうえで退室しない君にちょっと興味が出てきた。――私は七生。七生景(ななお けい)。君は?」 「呉義一(くれ ぎいち)」  僕はなんとなく始めた会話だったけれど、七生は会話を続けてきた。 「本、好きかい?」 「本というより、言葉が好きなんだ」 「言葉?」 「作家それぞれに言語感覚があって、その言葉が連なった時の語感が好き、というのかな。吉本ばななさんの海の描写とか、すごく好きだ」 「もしかして、『二十パーセント』ってやつ?」 「なんだ、知っているの?」 「確か、海は毎度二十パーセントぐらい大きく感じられるから、そう思っていくと、それよりもまた二十パーセントぐらい大きい海が待っている、みたいなそんな感じだよね」 「うん。僕はそういう言語感覚を読み取るのが好きなんだ。分かるでしょう?」  僕が少し乗り気になってはにかむと、七生は静かにほほ笑んだ。 「うん……。とても素敵な目をしているね、あなたは。あなたの目にはきっといろいろな言葉が映っているんだろうね」  それからもお互いによもやま話をしていると、僕らはいつの間にか意気投合していた。 「七生、君はなんで小説が好きなの?」 「うちは親が離婚していてね。離れて暮らしている母親が誕生日に送ってくれるのがいつも小説だったんだ」 「へえ、僕が初めて小説を好きだと思ったのは再生紙で作られた本を薦められた時だったよ。内容はよく覚えていないけどね」 「ハハハ、そんなもんだよね」  七生は茶髪をポニーテールにしている活動的な印象の少女だった。その外見通り、おしゃべりだった。だが、僕はどちらかというとインドア派だ。話があったのは、おそらく彼女が優しい話し方をする人だったからだろう。七生は不思議な空気感を持った人だった。  ミルクセーキで出来てそうな声、というのか。そんな意味の分からない例えが出てくる声だった。 「あなたはぁ……創作はするの?」  七生が首をかしげながら問いかけてきた。  僕はうっ、と思った。  文芸部員になりたいなら当然の質問だろうが、いざ聞かれると恥ずかしいものだ。 「うん……凸凹した小説を書いているよ。君は?」 「私も書いているよ。でも人に見せたことはないな」 「僕も人に見せたことはない。恥をかくだけだから」  七生はくすくすっと笑って「よくわかるよ」と一言つぶやいた。  僕も部誌を手に取って読み始めた。  僕には才能がないということを、僕も知っている。だから部誌を見ても参考にしようという思いで、馬鹿にするつもりはなかった。  なにより、他人の文章を馬鹿にしつつ読むような人にはなりたくない。 「義一」 「ん?」  僕が呼ばれて顔を上げる。七生が微笑んでいた。 「義一と呼んでいいかい」 「ああ、いいよ。僕は七生と呼ぶよ」  僕が軽く笑って答えると、七生も嬉しそうだった。  それが七生との最初の思い出だった。
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