Fifth

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「……もう、大丈夫です」 「……」 「ありがとうございました」 私の声に、課長は手を離す。 お互い無言のまま、十五分ほど歩いてきた。 もうそろそろ大丈夫だろう。 「助かりました。ありがとうございました」 もう一度お礼を言うものの、課長は何も言わない。 「地下鉄で帰ります。失礼します」 言って、駅の方向に歩こうとする。しかし課長が私の腕を掴んで、それを阻止する。 「……課長?」 「……俺は飲み足りない。もう一軒付き合え」 「え?いやでも……」 「いいから来る」 「はい」 これこそ職権乱用だ。 そう思いながらも気まずい原因を作ったのは私。 素直に従って課長に腕を引かれる。 気が付けばそのまま繋がれた右手。 「……課長、誰かに見られますよ?」 「……見せ付けてんだよ」 「え?」 「ほら、入るぞ」 辿り着いたのは駅の裏にあるバー。 半個室のソファ席に案内され、二人で並んで座る。 その距離が思いの外近くて、心臓の高鳴りが聞こえてしまうのではないかと思う。 緊張している私とは裏腹に、課長は冷静に注文していて。 「……何飲む?」 「え、あ……じゃあジントニックください」 「かしこまりました」 スタッフの人がカーテンを閉めると、他の席からはほんのり遮られた視界。 二人だけの世界になったようで緊張が増す。 数分で運ばれてきたお酒を持ってグラスを合わせた。 美味しいお酒に舌鼓を打っていると、課長がようやく口を開いた。 「……金山は、俺が嫌いか」 「……え?」 「俺は、お前に嫌われるようなことをしたか」 前を向いたまま、グラスを持って私に問いかける声は、悲痛に満ちていて。 「突然避けられて、突然もう誘うなって言われて、俺はどうしたらいい」 こちらを向いた課長の目が私を捉えた時。 「……俺は、お前にだけは嫌われたくない」 その目が、私を求めているような、そんな気がして。 そんなの自惚れだってわかってるけれど。 それでも、心のどこかで期待してしまう。 「……嫌ってなんて、いません」 絞り出した声は、緊張で少し震えた。
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