Fifth

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「嫌ってたらついて行きません」 「……じゃあ、何で」 「……傷付きたくなかったんです」 「……どういう意味だ?」 「そのままの意味です」 意味がわからない、と言いたげな課長の困惑した顔。 それに答えようと口を開いた。 「……課長と恭子さんって、昔付き合っていたんですよね?」 「恭子?……まぁ、昔の話だが……そんな話どこから……」 「昔の話って言いますけど、今だって凄く仲良いじゃないですか」 「はぁ?……あぁー……そうか?普通だろ」 「普通じゃありません!」 思わず大きな声を出してしまって、恥ずかしくて下を向いた。ゆっくりと背筋が曲がる。 「どうした?恭子に何かされたのか?」 「……されてません」 「じゃあなんだよ……」 「……悔しいんです」 下を向いたままポツリと溢した声も、課長は拾ってくれる。 「え?」 「課長のこと、社内では私が一番知ってると思ってました。自惚れてたんですよ。 甘いものが好きだってことも、コーヒーが苦手だってことも、私しか知らないんだって思ってました。 現に今の社内では、きっと私しか知らない。だから自惚れてた。……でも、そうじゃなかった」 「……そりゃあ、恭子とは昔付き合ってたからな。知ってて当たり前だろ」 私の背中を摩る手が、優しくて。何かを勘違いしてしまいそうで。 「……はい。だから、そんな自惚れていた自分が悔しくて。情けなくて、恥ずかしくて。 これ以上、惨めになりたくなかった。側から見たら恋人同士にしか見えないお二人を見るのも、周りからお似合いですねって言われてるお二人を見ているのも、つらかった。私の知らない課長を見ているのが、しんどかった」 「……」 「だから、逃げました」 「……」 「それだけ、です」 言っちゃった。言ってしまった。 これじゃあ、告白してるのも同然で。 目の前のジントニックを勢いに任せて飲む。 「お、おい……」 飲まないと、恥ずかしさで頭がおかしくなりそうだった。 今すぐ逃げ出したい気持ちを抱えながら、追加のお酒を注文して。 課長が何も言わないのをいいことに、濃いめのハイボールを飲む。 ペースが早かったからか、程良く頭がボーッとしてきた頃。 グラスを持つ手を、課長に取られた。 丁度残ったハイボールを飲み干そうと思っていた時で。 傾けていたグラスは、そのまま課長の口元に持っていかれて。 課長の口の中に吸い込まれるように無くなった。 「……あ」 「……いくらザルとは言え、ペース早すぎだ」 「だって、飲まないとやってられませんから」 程良く酔いが回り始めた私はもう開き直っていて。 締まりなく笑うと、課長は黙った。 ……と、思ったら。 「んんっ」 いきなり引き寄せられて重なった唇。 確かめるような啄ばむようなそのキスに、頭がパニックになる。 どうして。どうして。 こんなの、期待しちゃうじゃない。 けれど。 今だけは、自惚れてもいいだろうか。 「……出るぞ」 体を離すとすぐに会計をしてバーを後にした。 そのまま私の腰を抱きながら歩く課長の腕は熱い。 すぐにタクシーを捕まえて、押し込まれるように乗った。 「七丁目の角のーー」 住所を伝えると、黙って外を向いてしまったものの。 繋がれた手は、離さないとでも言いたげにギュッと握られていた。
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