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月光院は思わず顔を輝かせ、上段を下りて息子の元へ駆け寄ろうとした時
「──上様、ここでしたか。捜しましたぞ」
横から瑞春院が現れて、室内の月光院を睥睨するように見つめると
「ささ、上様、御座所の方へ参りましょう」
家継の手を引っ張って、無理矢理その場から連れて行ってしまった。
このような事は一度や二度ではなかった。
回廊や城の庭園などで、ふいに家継と出会い、目が合う事があっても、必ず側に付いている瑞春院が早々と連れ去ってしまうのである。
自分独りが家継を囲いたい為だろうか?
生母である月光院と、極力接触させまいと努めているようであった。
それは、この日の午後もそうだった。
月光院が大奥の廊下を歩いていると、中庭を隔てた反対側の廊下に、瑞春院に手を引かれながら歩いて行く家継の姿を見かけた。
「──家継様っ」
月光院が思わず、目の前の欄干にまで進み出ると
「…母上…」
家継も中庭の向こうに見える生母の姿に気付き、歩を止めた。
瑞春院は、家継の視線の先に月光院の姿があることに気付くと
「上様、早よう参りましょう。お珍しき京菓子をお部屋に用意しております故」
いつものように家継の手を引っ張って、速やかにその場から去ってしまった。
「……」
月光院は悄然と項垂れた。
もう家継と語らう事も、笑い合う事も出来ないのであろうか…。
胸の中が塞がれてゆくような思いで、鬱々と中庭に咲く花に視線をやっていると
「──月光院殿」
穏やかな声が、廊下の横から響いてきた。
「これは…、天英院様」
秀小路、岩倉たちお付き女中を従えた天英院が進み来て、月光院は端然と頭を垂れた。
「お悲しみのご様子じゃのう。…無理もない。瑞春院殿に阻まれて、家継様とまともにご対話も出来ぬのであろう」
「──」
「このままでは、そなたも苦しかろう。私の方から、瑞春院殿をお諌め致しましょうか?」
天英院の申し出に、月光院は一瞬 微笑を浮かべたが
「有り難う存じます。……されど、よいのです」
と首を軽く振った。
「これは、私が何とかしなければならぬ問題。元を辿れば、私の責任でもあるのですから」
「月光院殿」
「…大丈夫でございます。必ず何とかしてみせます故」
月光院は心配をかけまいと、気丈な笑みを浮かべるのであった。
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