河崎

2/36
前へ
/475ページ
次へ
思いがけぬ出世によって、右衛門佐局の心にようやくゆとりが出来始めていた頃、大奥の月光院の心は(すさ)んでいた。 相も変わらず間部詮房(あきふさ)との醜聞によって、常に好奇と非難の目に(さら)され、気の休まる暇がなかった。 しかし、それはまだ良い。少なくとも事実ではないのだから。 それよりも、我が子である家継からの信頼を失ったのは、大きな痛手であった。 家継はあれから月光院を避け、毎朝の総触(そうぶ)れの時も、御仏間での拝礼の時も、少しも目を合わせてくれない。 御新座敷を訪れることもなく、最近では中奥の居室で過ごすことが多くなっていた。 そして追い打ちをかけるように 「──上様、ご(ろう)じませ。三の丸の畔に咲いておりました杜若(かきつばた)にござます。美しゅうございましょう?」 瑞春院がこれまで以上に大奥に参上して、家継を構うようになっていた。 遊びの時、勉学の時、夕餉(ゆうげ)の時にまで、大奥の将軍御座所を訪れては、家継の側にそれこそ影のように(はべ)っているのだ。 この事態に大奥の女たちは 「三の丸様は常に上様のお側にあられて、まるで将軍ご生母のよう」 「ご生母と申すにはお(とし)が離れ過ぎておりましょう。どちらかと申せば、お祖母(ばあ)様と孫」 「いずれにしても、越前守(えちぜんのかみ)様と不貞を働いておられる実の母君よりは、心安いのやも知れませぬなぁ」 と言って、陰で冷笑を漏らしていた。 しかし、悪いことばかりではなかった。 時が()つにつれて、月光院にとって嬉しい変化が起き始めたのだ。 例えば、今までは目も合わせようとしなかった家継が、ちらちらと月光院の方を気するようになり、 ふと誰かの視線を感じると、遠くから家継がこちらの様子を眺めているという事もあった。 将軍とはいえ、やはり幼子。 真偽の分からない疑惑よりも、実の母への愛情、母に甘えたい心の方が強くなっていたのかも知れない。 事実、三日前などには 「──月光院様。あれを…、上様が御入口に」 六條に言われて御新座敷の入口に目をやると、そこに家継が立っていた。 「家継様…!」
/475ページ

最初のコメントを投稿しよう!

352人が本棚に入れています
本棚に追加