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「余はすいかの種を好まぬゆえ、たべるときは、いつも母上が、種を手ずから取ってくださるのです!」
「……」
「瑞春院さまは余の母ではありませぬ!」
「…上様…」
「余の母は、母上さまおひとりだけにございます!!」
家継はそう叫ぶなり、上段から駆け下りて、部屋の外へと走り去ってしまった。
突然の言葉に瑞春院は狼狽えながらも
「…お待ちを…、上様お待ちをッ!」
慌てて立ち上がり、すぐにその後を追った。
その頃 月光院は、居室である御新座敷の前にある廊下に出て、暗い前庭を気鬱そうな面持ちで眺めていた。
何をしていても心が踊らず、常に胸の底には寂寥感が渦を巻いていた。
口からは溜め息ばかりが漏れている。
「…月光院様。どうぞ中へお入りになって、夕餉をお召し上がり下さいませ。御膳が冷えてしまいます」
六條が近付いて声をかけるが、月光院は力なく首を横に振った。
「欲しうない…。片付けよ」
「そんな、朝も昼も、あまり食べておりませんのに」
「……」
「お身体を壊してしまいますぞ」
主人の身を案じて言うも、六條の言葉は、今の月光院の耳には殆んど入っていないようであった。
すると、行灯の光が点々と灯った薄暗い廊下の奥から、ぱたぱたぱたと小さな足音が響いて来た。
「… ?」
月光院が廊下の奥に目を凝らすと、闇の中に、行灯の光に照らされて小さな人影が浮かび上がった。
近付かずとも分かる、愛しい我が子の影が。
「……家継様 !?」
月光院がわっと双眼を広げていると、家継は暗闇を裂くように走り来て
「母上ーッ!」
と叫びながら、月光院の腰にしがみ付いた。
「…家継様……、あぁ、家継様!!」
月光院も思わず声を上げ、慌ててその場に膝をつくと、家継の小さな身をぎゅっと抱き締めた。
「──母上…。…ごめんなさい、ごめんなさい!」
母の胸の上で涙を流しながら、家継は嗚咽混じりに謝した。
「母上がわるいことなどするはずないのに…。瑞春院さまの言うことをしんじて、わざと母上をさけておりました。…ごめんなさい、ごめんなさい母上ッ!」
詫びる息子の前で、月光院は強くかぶりを振った。
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