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「良いのです…、良いのです家継様。そなたのことを第一に考えなんだ、母が悪かったのじゃ。詫びるのは私の方です」
「…母上…」
「帯のことでは、そなたを疑うたりして…本当に愚かであった。…母を許して下され」
いつしか月光院の瞳にも涙が溢れ、白い頬にすっと涙がつたった。
月光院と家継は再び心通わせ、これまでの空白を埋めるように、そのままひしと抱き合っていた。
親子の絆が強く結びついてゆく様子を、側にいる六條も思わず涙ぐみながら見守っていた。
「──…」
そんな親子の光景を、家継の後を追い駆けて来た瑞春院が、廊下の柱の陰からじっと眺めていた。
瑞春院は、まるで敗者を思わせるような色のない顔をして、目の前の柱に両手をかけると、ずるずると廊下の上に頽れていった。
再び手に入れたと思った幸福な時間が、全て虚構のものであったと気付き、瑞春院は寂しさと情けなさから、一人廊下で涙しているのであった──。
月光院が間部詮房を御新座敷に呼び出したのは、その翌朝のことであった。
「──何と。でしたら、八十宮様ご降嫁の要請に、ご助力いただけるのですね!?」
部屋の下段に座していた詮房は、思わず上段の月光院の前に身を乗り出した。
月光院は微笑んで頷く。
「名だけで良いのであれば、私も法皇様へのご説得に力をお貸し致しましょう」
「無論、御名だけで十分にございます。天英院様と月光院様。上様のお二人の母上の御名があれば、ご説得の書状も重みを増すというものです」
よくぞ決心して下さいましたと、詮房は明るい笑みを浮かべたが
「されど、あれほど反対しておられたのに、急にどうなされたのですか?」
と、気になって訊ねた。
「特には何も。……ただ、私も母として、家継様の為になる事をして差し上げたいと思うただけです」
月光院も穏やかに微笑んで言うと
「それと間部殿。これまでは、二人きりで膝を突き合わせる事も多かったが、これよりは如何なる場合でも、お付きの者たちを側に置く事に致しまする」
と、下段の左右に控えている六條や大炊たちに目をやった。
「軽はずみな行いは、悪しき噂を生む元となります故」
「月光院様…」
「もう、そなた様との醜聞など、まっぴらであるからな」
月光院とは何もなかったとはいえ、まるでこちらが一方的にふられた形となり、詮房は釈然としなかった。
だがそれも、月光院からの助力を得られるのならば良しと思ったのか
「──では、某は急いで中奥へ立ち帰り、ご老中衆にこの旨をご報告致しまする。月光院様のご決心が揺るがぬ前に」
そう言って抵頭すると、詮房は意気揚々として中奥へ戻って行った。
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