河崎

6/36
前へ
/475ページ
次へ
「良いのです…、良いのです家継様。そなたのことを第一に考えなんだ、母が悪かったのじゃ。詫びるのは私の方です」 「…母上…」 「帯のことでは、そなたを(うたご)うたりして…本当に愚かであった。…母を許して下され」 いつしか月光院の瞳にも涙が溢れ、白い頬にすっと涙がつたった。 月光院と家継は再び心通わせ、これまでの空白を埋めるように、そのままひしと抱き合っていた。 親子の絆が強く結びついてゆく様子を、側にいる六條も思わず涙ぐみながら見守っていた。 「──…」 そんな親子の光景を、家継の後を追い駆けて来た瑞春院が、廊下の柱の陰からじっと眺めていた。 瑞春院は、まるで敗者を思わせるような色のない顔をして、目の前の柱に両手をかけると、ずるずると廊下の上に(くずお)れていった。 再び手に入れたと思った幸福な時間が、全て虚構のものであったと気付き、瑞春院は寂しさと情けなさから、一人廊下で涙しているのであった──。 月光院が間部詮房を御新座敷に呼び出したのは、その翌朝のことであった。 「──何と。でしたら、八十宮様ご降嫁(こうか)の要請に、ご助力いただけるのですね!?」 部屋の下段に座していた詮房は、思わず上段の月光院の前に身を乗り出した。 月光院は微笑んで(うなず)く。 「名だけで良いのであれば、私も法皇様へのご説得に力をお貸し致しましょう」 「無論、御名だけで十分にございます。天英院様と月光院様。上様のお二人の母上の御名があれば、ご説得の書状も重みを増すというものです」 よくぞ決心して下さいましたと、詮房は明るい笑みを浮かべたが 「されど、あれほど反対しておられたのに、急にどうなされたのですか?」 と、気になって(たず)ねた。 「特には何も。……ただ、私も母として、家継様の為になる事をして差し上げたいと思うただけです」 月光院も穏やかに微笑んで言うと 「それと間部殿。これまでは、二人きりで(ひざ)を突き合わせる事も多かったが、これよりは如何(いか)なる場合でも、お付きの者たちを側に置く事に致しまする」 と、下段の左右に控えている六條や大炊(おおい)たちに目をやった。 「軽はずみな行いは、悪しき噂を生む元となります故」 「月光院様…」 「もう、そなた様との醜聞など、まっぴらであるからな」 月光院とは何もなかったとはいえ、まるでこちらが一方的にふられた形となり、詮房は釈然としなかった。 だがそれも、月光院からの助力を得られるのならば良しと思ったのか 「──では、(それがし)は急いで中奥へ立ち帰り、ご老中衆にこの旨をご報告致しまする。月光院様のご決心が揺るがぬ前に」 そう言って抵頭すると、詮房は意気揚々として中奥へ戻って行った。
/475ページ

最初のコメントを投稿しよう!

352人が本棚に入れています
本棚に追加