河崎

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天英院の父・基熙は、幕府が八十宮の輿入れを打診した時から、この縁組に難色を示しており 《 末代之事、歎息之旨他 》 (縁組は末代まで祟ることで、歎息する他ない) と、自身の日記である「基熙公記」に記している。 基熙は親幕派として、幕府と朝廷が(まつりごと)の上で、結び付きを持つ事には賛同していた。 幕府と協調し、共存共栄する事が、何よりも朝廷の為だと考えていたからだ。 しかし朝廷・公家方が、幕府・武家方よりも上位である事に(ほこ)りを持っていた基熙は、婚姻によって、両者が対等な関係になる事には否定的であった。 天英院の時は立場上仕方なく幕府の要請に応じたが、絶対的な存在である天皇家だけは、その例に染まらないで欲しいという思いがあったのである。 「基熙様もそうですが、私は法皇様のご決断にも驚き入りました。まさか縁組をご了承下さるとは」 秀小路が不思議そうに言うと 「それも、叔父上なりのお考えがあっての事であろう」 天英院は膝元の書状を片付けながら答えた。 「朝廷が幕政に介入したい意図もあるのであろうが、我が父との確執(かくしつ)も、少なからず関係しているのであろう」 「基熙様との?」 「叔父上は、将軍の岳父(がくふ)となった父上の権勢を怨んで、下御霊(しもごりょう)神社へ、父上を呪う願文を奉納した程のお方じゃ。 いずれ父上を排除して、ご自分がその座に取って代わりたいと、密かに(ねご)うていたに違いありませぬ。 此度の幕府の要請は、叔父上にとっては好機であったのやも知れぬ。何せ次はご自分が、将軍の岳父となれるのですからね」 天英院の話に、秀小路は思わず首肯すると 「左様になれば、基熙様も気が気ではございませぬな。今度はご自分が、法皇様に(おびや)かされるお立場となるやも知れぬのですから」 ご心配にございますね、と静かな口調で告げた。 「いいえ、心配などしておりませぬ。(むし)ろ、よい(とし)をして、いつまで小競り合いを続ける父と叔父上にほとほと呆れておりまする」 「まぁ」 「お二人とも既にご隠居の身なのですから、揉め事を起こさず、静かな余生を過ごして欲しいものじゃ。……()く言うこの私も、近々そうしようと思うておる」 ふいに(つぶや)かれた天英院の言葉に、秀小路たちは一瞬「…え」となった。 「天英院様。(おそ)れながら、今──何と(おお)せに?」 岩倉が怪訝な面持ちで(たず)ねると、天英院は居住まいを正して、下段に控えるお付き女中たちを眺めた。 「良い機会である故、この場を借りて(みな)に申しておく。…私は、折を見て、この本丸大奥から退(しりぞ)こうと思うておるのじゃ」 天英院の急な発言に、女中たちは一驚の表情を浮かべる。 「この御本丸から…、大奥から退く !?」 「まことのお話にございますか !?」 岩倉とかよが問うと、天英院は素直に(うなず)いた。
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