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その頃、京の仙洞御所( 櫻町殿 )では、江戸城同様に “ 公武合体 ” 政策、皇女・八十宮の降嫁決定の噂で、皆々が盛り上がっていた。
右衛門佐局(伊勢)が住まう常御殿でも、女房や女中たちがより集まり
「──お聞き及びですか?八十宮さんと関東の代官の話」
「ええ。何でも仙洞さんが、関東との縁組をお許しあそばされたとかで、禁裏でも大変な騒ぎになっているのやとか」
「きょくん(驚き)な事や。これまで幾度も関東から皇女降嫁の打診があらしゃっても、必ず断って参ったと申すのに」
「宮家の王女さんでも徳川にやるには畏れ多いと申しますのに、まさかご皇女さんが下る日ぃが参ろうとはのう」
と、噂話に花を咲かせていた。
その話の大半は
「ご了承ならしゃった仙洞さんも仙洞さんやが、そないな要請をした徳川も徳川や」
「ほんに。臣下の分際で、身の程も弁えず主家の姫ぃさんをめとりたいやなんて、ほんに厚かましい」
「まさに前代未聞。今からでも遅うはない、朝廷の面目を保つ為にも、おはやばやさんにご破談にすべきやと思いますわ」
という、否定的な意見が殆んどであったが、中には
「政権を握る関東との結び付きが強うなれば、おたから(金子)もぎょうさん御所に入って参りますのやろ?」
「万一にも、宮さんが徳川さんの吾子をお産みにならしゃれば、朝廷はそのお血筋を盾に、治でも、今以上に大きな顔が出来まするなぁ」
「宮さんのお輿入れは、朝廷が政権を取り戻す、よい機会になるやも知れませぬ」
と肯定的な意見を述べる者もいた。
八十宮の母である右衛門佐局も、常御殿でこのような賛否両論に晒されていたが、彼女自身は、どちらかと言えば後者であった。
本来であれば、自分の娘が遠い関東に嫁いでしまう事を、母としては哀れむべきなのかもしれない。
が、少なくとも今の右衛門佐局にとっては、幕府との縁組はこの上ない良縁のように思えてならなかった。
それというのも…。
「──いお、見ましたか? 宮さんがご機嫌ようお微笑いにならしゃった」
「──はい。ほんに、おいとぼしい(可愛らしい)宮さんやこと。旦那さんにおなし(お抱き)あそばされて、えらいお嬉しさんなご様子にござりますな」
澄み切った青空が美しい、とある秋晴れの日の午後。
典麗な前栽を抱えた仙洞御所・奥殿の中座敷では、右衛門佐局といおが、それは愉しげな笑声を響かせていた。
いおと向かい合うようにして座す右衛門佐局の膝の上には、数え二歳の八十宮がちょこんと座っている。
八十宮は好奇心いっぱいの黒い瞳を輝かせながら、母である右衛門佐局やいおの顔を、微笑みながら交互に眺めていた。
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