河崎

11/36
前へ
/475ページ
次へ
その頃、京の仙洞御所(せんとうごしょ)( 櫻町殿 )では、江戸城同様に “ 公武合体 ” 政策、皇女・八十宮の降嫁決定の噂で、皆々が盛り上がっていた。 右衛門佐局(えもんのすけのつぼね)(伊勢)が住まう常御殿(つねごてん)でも、女房や女中たちがより集まり 「──お聞き及びですか?八十宮さんと関東の代官の話」 「ええ。何でも仙洞さんが、関東との縁組をお許しあそばされたとかで、禁裏(きんり)でも大変な騒ぎになっているのやとか」 「きょくん(驚き)な事や。これまで幾度も関東から皇女降嫁の打診があらしゃっても、必ず断って参ったと申すのに」 「宮家の王女さんでも徳川にやるには(おそ)れ多いと申しますのに、まさかご皇女さんが(くだ)る日ぃが参ろうとはのう」 と、噂話に花を咲かせていた。 その話の大半は 「ご了承ならしゃった仙洞さんも仙洞さんやが、そないな要請をした徳川も徳川や」 「ほんに。臣下の分際で、身の程も(わきま)えず主家の()ぃさんをめとりたいやなんて、ほんに厚かましい」 「まさに前代未聞。今からでも遅うはない、朝廷の面目を保つ為にも、おはやばやさんにご破談にすべきやと思いますわ」 という、否定的な意見が(ほと)んどであったが、中には 「政権を握る関東との結び付きが強うなれば、おたから(金子)もぎょうさん御所に入って参りますのやろ?」 「万一にも、宮さんが徳川さんの吾子(わこ)をお産みにならしゃれば、朝廷はそのお血筋を盾に、(まつりごと)でも、今以上に大きな顔が出来まするなぁ」 「宮さんのお輿入れは、朝廷が政権を取り戻す、よい機会になるやも知れませぬ」 と肯定的な意見を述べる者もいた。 八十宮の母である右衛門佐局も、常御殿でこのような賛否両論に(さら)されていたが、彼女自身は、どちらかと言えば後者であった。 本来であれば、自分の娘が遠い関東に嫁いでしまう事を、母としては哀れむべきなのかもしれない。 が、少なくとも右衛門佐局にとっては、幕府との縁組はこの上ない良縁のように思えてならなかった。 それというのも…。 「──いお、見ましたか? 宮さんがご機嫌ようお微笑(わら)いにならしゃった」 「──はい。ほんに、おいとぼしい(可愛らしい)宮さんやこと。旦那さんにおなし(お抱き)あそばされて、えらいお嬉しさんなご様子にござりますな」 澄み切った青空が美しい、とある秋晴れの日の午後。 典麗な前栽を抱えた仙洞御所・奥殿(おくでん)の中座敷では、右衛門佐局といおが、それは愉しげな笑声を響かせていた。 いおと向かい合うようにして座す右衛門佐局の膝の上には、数え二歳の八十宮(やそのみや)がちょこんと座っている。 八十宮は好奇心いっぱいの黒い瞳を輝かせながら、母である右衛門佐局やいおの顔を、微笑みながら交互に眺めていた。
/475ページ

最初のコメントを投稿しよう!

352人が本棚に入れています
本棚に追加