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八十宮は咄嗟のことに驚きながらも
「…は、…はい!心地よう、ごふくさし(就寝)致しました」
喜びの方が勝り、明るい声色で返答した。
「それはよろしうございました。本日も暑うなりそうです故、お庭に出る際はお気をつけなされませ」
「おきもじ(お気遣い)、有り難ぅ存じまする」
「──もしも、御台様がよろしければですが、後で、御座所をお訪ねしてもよろしいですか?」
「…え…」
「御台様に申し上げたい儀があるのです。…ご迷惑であろうか?」
宮は慌てて首を左右に振った。
「そんな、滅相もございませぬ。是非おこし下さいませ」
「ならば良かった。ではまた後ほど」
「はい…!お待ち致しておりまする」
八十宮は嬉しさで胸がいっぱいになり、広やかな笑みを浮かべながら、上段の義母に一礼を垂れた。
家継も、生母の心境の変化に驚きながらも、二人の心が通い合っているのを感じて、ふっと和やかな微笑を浮かべていた。
そして「総触れ」の後、御台所御殿へは約束通り月光院の訪問があった。
八十宮は月光院を茶室へ通すと、手ずから茶を点て、京の銘菓を振る舞うなど、それは恭しく姑を持て成した。
月光院が作法を守って茶を頂戴すると
「義母上さん。お服加減は如何でございますか?」
「良いお加減にございます」
にこやかに答える姑を見て、八十宮もほっと肩で息を吐いた。
「──御台様」
「はい」
「有り難うございました。…お志保殿の件、三室殿より伺いましたぞ」
礼を述べられて、宮はあっとなって居住まいを正した。
「お志保殿が滞りなくご出産の時を迎えられるよう、御台様がお力を貸して下されたとか?」
「そんな…、うちはただ、三室さんのお考えに賛同致しただけにございます。それでお志保さんが、無事に吾子さんをお産みになれるのならと」
「そのお気遣いのお陰で、何とか懐妊を悟られずに済みそうなのです。──此度のご懐妊は、若君を喪うてからの、久方ぶりのご慶事じゃ。
お志保殿には、周りからの余計な妬み嫉みに悩まされることなく、安んじてご出産の時を迎えていただきたいのです。…家継様の為にも」
「…義母上さん」
「御正室である御台様にとって、側室の出産は快いものではないであろうに、広いお心で受け入れて下さったこと。改めてお礼を申します」
頷くように頭を垂れる月光院に、八十宮は慌てて首を横に振った。
「そんな、当然のことにございます。上さんに吾子さんがご誕生あそばすことは、うちにとっても殊の他 喜ばしいこと。
それに、お志保さんはうちにとっても大切な、友のようなお方にござります。細やかでもお力になれたのなら、うちも嬉しゅうございます」
「御台様──」
嫁の言葉に感じ入る月光院の前で、八十宮は端然と両の指先を揃えた。
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