【第1章】 伊 勢

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彼女は昨年の正徳三年の九月に男児を出産していた。 この男児が、後に有栖川宮(ありすがわのみや)家第五代当主となる職仁(よりひと)親王である。 その父は、先の112代天皇。 嫡子の東山天皇に皇位を譲った後、上皇、現在は落飾(らくしょく)して『素浄』を名乗る、霊元法皇であった。 対して母である伊勢は、非蔵人であった松室(秦)重敦の娘として生まれ、諱を『敦子(あつこ)』といった。 それが数年前、時の権中納言・岩倉乗具(のりとも)猶子(ゆうし)という形をとって、霊元法皇が退位した後に移り住んだ、 正式名を “ 櫻町(さくらまち)殿 ” と称される、仙洞御所(せんとうごしょ)へと出仕したのである。 天皇がおわす宮中では、仕える女官(女房)・女中衆には典侍(すけ)、掌侍、命婦(みょうぶ)、女蔵人、御差(おさし)などの役職が細かく分けられていたが、 仙洞御所では大きく「上臈(じょうろう)」「小上臈」「中臈(ちゅうろう)」「下臈」に区別されており、 伊勢は初め『 柏木(かしわぎ) 』と称し、御所院付きの下臈・御差格として、御所の常御殿(つねごてん)で仕えていた。 法皇はこの時、既に(よわい)五十九という高齢であったが、とかく閨房(けいぼう)の事に関しては即位していた頃より旺盛であり、 上皇、法皇となってからも、お手付きとなる女房衆が途絶えることはなかった。 そんな法皇が、涼やかな美貌を持つ伊勢に手を付けたのも、もはや自然の流れといえよう。 二十代半ばであった若き伊勢は、早くも法皇の(たね)を宿して、昨年に職仁(よりひと)親王を出産。 この功労により下臈・命婦格となり、現在の『 伊勢 』と称されて、法皇の侍妾、後宮の一人となった。 そして今、また新たな御子をその腹に宿した伊勢は、ひたすら出産の時を待つだけの身となり、(しばら)く前より仙洞御所を出て、 内裏の東外側、日之御門通りに面した女御(にょうご)御里(おさと)屋敷へ移り、いつ訪れるとも知れぬ分娩の日に備えているという次第である。 伊勢は、(えん)にまで跳ね上がった無数の雨粒を見下ろしながら、降りしきる雨の激しさを感じていると 「──まぁ旦那(だんな)さん、おひなってあらしゃりましたか」 左手に伸びる廊下の奥から、若々しい女の声が響き、伊勢はそちらへ顔を振り向けるなり、ふっと表情を(ゆる)めた。
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