Ⅰ. 桜子

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 そのマンションの二階に三人で借りているあの部屋をわたしはとても気に入っているけれど、唯一の難点は駅から遠いことだ。住宅街の中の道をくねくねと自転車をこいで、約10分。こじんまりした街に似つかわしく、改札が一つしかない質素な駅がそこにある。改札の斜め前には小さなキオスクがあって、売り子の女性がいつも眠たげに佇んでいる。  駅から電車で10分も行くと、少し大きな街に出ることができる。駅ビルがあって、駅の前にはロータリーが広がり、JRも乗り入れている、そんな駅だ。  ちなみに、三人の中で唯一学生である伊織は自転車で大学に通っているし、バンドをやりながらバイトを転々としてる美月はどこに行くにもクライドに乗っていくので、わたしたちの中でまともに電車を使っているのはわたしだけということになる。  元々、あの部屋には伊織と美月と、もう一人よく知らない誰かが住んでいたらしい。けれど、その誰かは転職だか恋人が出来ただか、とにかく何か理由があって出て行ったのだという。だから、わたしがあの部屋に引っ越すとなった時には伊織も美月も、これで家賃の負担が減る、と大層喜んだものだった。  今頃あのひんやりとしたリビングで、二人はゲームで盛り上がっているのだろう。ペダルを漕いで少しずつ部屋から遠ざかり始めると、心の底からぷくぷくと寂しさが立ち昇ってくる。
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