Ⅰ. 桜子

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 大きな目と細い顎、少し上を向いた鼻先。わたしが持って生まれたものの中で、唯一母のお気に召したのは、外見だった。どちらかというとボーイッシュなものを好んだわたしに、母は女の子らしい服を着せ、女の子らしい振る舞いをさせようと苦心した。母なりに、わたしの将来を心配してのことだったのだろうと思う。親の考える幸せと子供の求める幸せが往々にして一致しないのは悲劇だ。神様に、何か設計ミスがあるんじゃないですかと申し立てたいくらい。  頭の隅でそんな下らないことを考えながらも、意識を爪の先に集中させる。ふうふうと息をかけて乾かしてから、つるんとしたネイビーの表面をそっと触ってみる。爪の先に閉じ込められた小さな夜の中をそっと覗き込んだ。しげしげと自分の指先を見つめて、悦に入る。  お正月に、特別な思い入れがあるわけではない。けれど、母はきっとわたしが帰省すると思っているんだろうな、と思ったから、伊織の問いかけに応えるまでに一瞬の間が出来た。母とて、別に心の底からわたしに会いたいと切望しているわけではない。ただ、わたしが母の予想と異なる行動をとったり、自分の世界を持ったりするのが気に触るらしい。 「お正月帰ってこないってどういうこと?」となじる母の顔が目に浮かんだ。母と対峙する時、わたしは決まってとても緊張してしまう。どう答えれば母の期待に沿えるのか。がっかりさせないためには何を言うべきか。手探りで次に踏み出す一歩を必死に探す。  わたしの躊躇を感じとったのか、伊織は薄く笑って言った。 「桜子ちゃんは、さすがに帰らないとね。ご両親も心配するだろうし。あ、それとも田村さんと過ごす?」
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