5.書き替えられたシナリオ

1/3
前へ
/28ページ
次へ

5.書き替えられたシナリオ

 映画は人、金が大きく動く。作り始めて、また天候やら物やらで予定外の事が起こる。  中でも大きな問題は、何かを変えなきゃならないのなら、守るのはシナリオか配役かとなる。 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(原題:Back to the Future)1985年  この作品はシナリオを守るため、主役を替えた。  当初の配役ではシリアスなタイムパラドックス物になる・・・監督は撮影初日に直感した。  ロバート・ゼメキスは映画監督として失敗作が続いていた。これが最期になる、と失業を覚悟で始めた作品だ。  最期と覚悟を決めたから、シナリオはゆずらない。プロデューサーのスティーブン・スピルバーグにわがままを通して、配役を替えた。  で、マイケル・J・フォックスを主役に迎え、映画は当初の構想通りにSFコメディとして完成した。  まさかの大ヒットとなり、ゼメキスは売れっ子監督の仲間入りを果たす。  しかし、世の中には、配役を守ってシナリオを書き替えた作品も多い。  中には、書き替えた部分がバレバレに残ってしまう事があるのだ。 『雨に唄えば』(原題:Singing in the Rain)1952年  作品のオープニングとエンディングに「Lucky Ster」が流れる。  歌としての「Lucky Ster」は、ラストの試写会でジーン・ケリーが壇上からデビー・レイノルズに歌う・・・半分だけ。そのカットに、壇上から降りるドナルド・オコーナーが見える。彼が楽団を指揮して 、ジーンとデビーが歌い踊り、『キャシー・セルドンのスター誕生」となって物語は大団円となるはずだった。  キャシーが撮影所に入って、ドン・ロックウッドの看板の前で「Lucky Ster」を歌う場面が撮影されていた。ラストの歌は、それへの返歌だったのだ。  でも、全てカットされた。  デビー・レイノルズはヘタだった、それが理由だ。2年前に期待の新人としてデビューしたデビーだが、初出演作で、彼女の歌は吹き替えによるものだ。歌も踊りも平凡以下で、ジーン・ケリーの相手役には完全に実力不足だった。かわいさだけが取り柄の女優だ。  ミュージカル場面の監督はジーン・ケリーが自ら務めていた。彼はデビーを切らず、シナリオの書き換えを要求した。  新しい登場人物としてコズモ・ブラウンを設定した。キャシーが歌うはずだった曲を、彼に割り当てた。  キャシーがソロで歌ったり踊ったりするシーンを無くした。合唱と群舞の中なら、技術の未熟は目立たなくなる。  デビーがソロで歌っているように見える場面がある。アフレコで歌っているところ。でも、少し声が低い。実はリナ・ラモント役のジーン・ヘイゲンの本来の声だ。吹き替えじゃなく、本人歌唱の場面となる。アフレコされたのはデビーの方だった。監督のイタズラだね。  踊りのスペシャリストとしてシド・チャリシーを起用した。いよいよ、キャシー・セルドンの作品中の比重は小さくなる。  こうして「ドン・ロックウッドの半生記」として映画は完成した。  アカデミー賞を受賞したり、作品は大成功となる。ジーン・ヘイゲンは助演女優賞の候補に上がったほど。  それから四半世紀が過ぎて『スターウオーズ』が大ヒットとなる。  レイア姫を演じたキャリー・フィッシャーがデビー・レイノルズの娘と知れ渡り、『雨に唄えば』が再び注目を受けた。  かくて、『雨に唄えば』は「デビー・レイノルズのスター誕生」として再認識されるのだ。
/28ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加