2.大ヒット映画の魔法『白雪姫と7人の小人』の法則

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2.大ヒット映画の魔法『白雪姫と7人の小人』の法則

 キリスト教において『7』は神の業を示す数字だ。旧約聖書における天地創造の7日間が始まりである。  新約聖書の黙示録では、やたらと『7』が連発される、しつこいくらい。  そんな訳で、キリスト教国のアメリカで発達した文化、映画の中には『7』の数字が多用されているのだ・・・たぶん。 『白雪姫』(原題:Snow White and the Seven Dwarfs)1937年  アメリカ映画で、『7』が表に出る最も古い作品。  7人の小人と言うけれど、昔話しの小人とは身分の低い人の総称だ。実際に体格が小さかった訳ではない。  白雪姫を守って支える神の使い、それが7人の小人の立ち位置だ。  木の下藤吉郎が織田信長に仕えた初めの身分は「小者」だった。今では蔑称になってしまう、注意しよう。 『駅馬車』(原題:STAGECOACH)1939年  西部の街で駅馬車の出発準備が進む。  乗るのは、南軍の生き残りとか、口先だけは達者な銀行屋とか。騎兵隊の隊長の妻は身重だ。  酔っ払いの医者と酒場の女、酒商人は、街を追放されて乗る。日本人には分かり難いけど、悪名高き禁酒法の時代が西部にも迫っていた。  6人の客を乗せ、駅馬車は出発する。  街を出たところで、リンゴー・キッドが乗る。ジョン・ウエインの出世作だよ。  これで乗客は7人。  駅馬車が寄る村で、隊長の妻が出産する。白雪姫が現れた。  モニュメントバレーの荒野を走る駅馬車を、丘の上からインディアンが見ている。メークをした白人俳優ではなく、本物のネイティブを出演させた。  今の目で見れば、実に味わい深い良い顔が並んでいる。でも、昔の白人には異形で恐ろしい顔だったのだろう。  この作品に惚れ込んだのが黒沢明だ。舞台を日本に置き換えて・・・と思ったが、駅馬車が日本に無い。乗客7人のモチーフをメインに、物語を再構築した。 『七人の侍』1954年  この作品のオリジナリティーは、7人が目的を持って集められる事だ。最初から仲間だったり、偶然に居合わせた訳では無い。  意気込んで作り始めたが、黒沢明は女の演出が苦手だった。原節子とか京マチ子あたりなら自分で動いてくれた。でも、新人の域を出ない島津恵子には無理だった・・・村娘しのは白雪姫になれなかった。  燃える水車小屋から菊千代が赤ん坊を救出する。それを白雪姫に割り当てた。白雪姫を守るため、菊千代は命を落とす。  カンヌ映画祭に『七人の侍』の短縮版が出品された。これにユル・ブリンナーが惚れ込んだ。『十戒』に出演して、映画の面白さを知ったところだった。さっそくエージェントに連絡して、翻訳再映画化の権利を取得する。 『荒野の7人』(原題:The Magnificent Seven)1960年  できあがった作品を見て、黒沢明は喜んだ。  村娘の白雪姫化ができていた。自分ではうまくできなかった部分を補完してくれた。  これにて、ある目的のために人が集められ、色々な困難を乗り越えて目的が達成される・・・映画の基本形の一つができた。  ほとんどの作品は白雪姫の存在を忘れて、愚作となっているけど。
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