ヘアピンに留められて

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ヘアピンに留められて

 たしか、祐介、だったと思う。  ゆうちゃんゆうちゃんって呼んでいたから本当の名前があやふやになっていた。  放課後の夕暮れ時。もう九月だってのに蝉が煩く鳴いている中、不意に後ろから声をかけてきたのがその彼だった。  久しぶりに会った彼は私よりもずっと背が高くなっていて、声も少年らしい高い声ではなく、声変わりした低い男の声になっていた。 「みうちゃん、元気にしてた?」  子供のときのあどけなさで、子供のときの呼び名で私にそう声をかける。 「うん、ぼちぼちね。それにしてもよく気づいたね。10年ぶりくらい会ってないのに」  そんなに変わっていないだろうか。確かに発育がいいとは言えない身体かもだけど……返答によっては拳を使わないといけないな。 「いや実はさ、先に家を訪ねておばさんに会って。そしたらおばさんが『黄色のヘアピン使ってるから見たらわかる』って教えてくれてさ」  あっ、と思ってピンを押さえる。子供っぽいデザインの黄色いヘアピン。たしかにこれをつけている高校生なんてそういないかも。  少し気恥ずかしくなったので慌てて話を切り替える。 「それ、うちの制服でしょ?もしかして編入してくるの?」  黒い生地に金色のボタンのついた学ラン姿の彼は自らの姿と私のセーラー服を見てニッと笑う。 「そうそう、明日から。二年B組だって。みうちゃんも同じ?」 「ううん、私はA組。残念だね」  そっか、と肩を落とす祐介くん。思わずフフッと笑ってしまった。 「ねぇ、あんまり残念そうじゃないけど?」 「ごめんごめん。だって祐介くん、全然昔と変わってないんだもん。それが面白くって」  嬉しくって。  笑う私とは対照的に、祐介くんは私の言葉に目を丸くして、そしてすぐ不機嫌そうに口を尖らせた。 「みうちゃんは変わったね」  そう?と首を傾げると、そうだよ、と彼は続けた。 「ゆうちゃん、って呼んでくれなくなった」  寂しそうに言葉を吐く様子がまた面白く思えてフフフと笑ってしまう。  遠くで豆腐屋の笛の音がした。この町は昔とあまり変わっていない。向こうに見える公園を指さして話しかけた。 「覚えてる?あそこの公園。鬼ごっこしたり木の棒を拾って遊んだりしたの」 「覚えてる。いつも一緒に遊んでた」  その公園がこの前取り壊しが決定したことをきっと彼は知らないだろう。変わらないこの町も、少しずつだけど変わろうとしている。 「もう高校生だから、私たち昔のままじゃいられないよ。学校でゆうちゃんなんて呼んだらきっとみんなにからかわれちゃう」  私の言葉を彼は黙って聞いていた。蝉の音なんてきっと忘れて。 「だからさ、私たちも変わろうよ。ずっと幼なじみってだけじゃいられない……私、ずっと待ってたんだよ?このヘアピンをもらったときから、ずっと」  黄色いヘアピンを外して彼に一歩歩み寄る。  さよならの前日にまた会う約束としてプレゼントしてくれた黄色いヘアピン。いつも私の髪と心を留めていた。  彼は私が近づくと驚いたり焦ったりあわただしくしていたけれど、そんなのお構いなしに精一杯背伸びをして彼の前髪に手をかける。パチッと音がして、ヘアピンが留まった。  流石に私も少し恥ずかしくなって、誤魔化すように一歩下がって手を後ろに組んだ。  口をパクパクさせている彼にいたずらっぽく笑う。 「おかえり、ゆうちゃん」  蝉はいつの間にか鳴きてやんでいた。  また新しい季節がやってくる。
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