残花

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「……(はる)?」 病室に、無機質な音が響く。その音に彼女を呼んだ声は掻き消された。  何度も彼女──海野遥妃(うみのはるひ)の手を握ろうかと考えた。しかし、それは今の自分には出来ないと、久保田翠月(くぼたあづき)は自身の手を差し出すことはしなかった。 『翠月、ありがと』  あの日──桜が満開になっていた日に、付き合って3年記念にと翠月はペアリングを遥妃に渡した。これからもずっと一緒にと伝えた言葉に、遥妃の()は輝いていた。  そして、何か飲み物をと場を離れたほんの数分。遥妃の悲鳴が聞こえ、駆け戻った場に遥妃はおらず、捜した末、階段下から発見されたのだ。  何度も抵抗した跡があり、男性と揉めたこと。そして助けを求めようとした結果、階段から足を滑らしたものと警察は捜査を決定づけた。それは翠月も納得したが、何より遥妃を一人にしたことであのような出来事になってしまい、翠月は自らを責める以外の感情を持つことが出来ないでいた。 『翠月くんが悪いわけじゃない。……命に別状はないって、先生も言っていたんだから、そんなに頭を下げないで』  遥妃の母はそう言って、何度も謝る翠月を(なだ)めた。  遥妃は母子家庭で育った。父親は遥妃が10歳の時に交通事故に巻き込まれ亡くなったのだ。常に『お母さんの為に』と頑張る遥妃を見ては『遥を幸せに』との思いが翠月にはあった。  そして、遥妃が男に狙われたという事実。 「何で……あんなことが出来るんだ……」  病室で、静かに怒りが湧き上がる。しかしぶつけたところで何も起きることはない。それが無意味なことは、翠月が一番良く理解している。  翠月は、目を伏せる。 「天にまします我らの父よ。願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。御国(みくに)を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。  我らの日用(にちよう)の糧を今日も与えたまえ。我らに罪を犯すものを我らが(ゆる)すごとく、我らの罪をも赦したまえ。  我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。国と力と栄えとは、限りなく(なんじ)のものなればなり。アーメン」  そう、祈りを唱えた。
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