残花

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氷聖(ひさと)は何かを言う代わりに、携帯を取り出し、文字を打っていく。 話すことが出来ない氷聖のコミュニケーションツールは携帯だ。無表情のまま視線を携帯に落とす。そして、文章が翠月の携帯に送られて来た。 『確かに守れなかった事実はあると思う。誰しも守りたいと思っても、守れない時はある。僕は守って貰えなかったから、あづきの彼女はとても幸せだと思う』 「……!」 思わず、翠月は氷聖を見た。だが、氷聖は視線を合わせず携帯を見つめ、文字を打ち続けている。 『僕は、今でも母親を殺したいと思ってる。ずっと、憎いから。でもあづきが、人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさいって言ってたから』 続けて打たれ、送られて来た文章に、翠月はハッとした。 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい────。 これは、翠月が聖書でも特に好きな一文だった。一番最初に覚えた一文と言っても過言ではない。 『僕も好き。聖書は全部知っているわけじゃないけど、これは好き』 そして氷聖のスマホを打つ手が止まったかと思うと、(おもむろ)に立ち上がり、今度は氷聖が手招きをした。 「えっ?」 氷聖は無論何も言わず、翠月に背を向けて歩き出す。 「あっ……ちょっと待ってって!」 慌てて向かう氷聖の背中には、何故か寂しさが募っていた。
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