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 もちろん口に出すのは憚れるので、何も言わなかった。少しだけ視線が厳しくなったのは許してほしい。  「そこ、ドキドキするところですよ」  「……確かにそうかもしれないけれど」  「この辺り苦しくないですか?」  「……そうね。頭は痛いわ」  「バファリン飲みます?」  彼の返答に思わず笑ってしまった。  まさか彼の口からそんな返答がくるとは思わなかった。  だけど、当の本人は私以上に目を丸くして「あーもう!!」と両手で顔を覆ってしまった。  彼はそのまま天井を見上げたあと、ねめつけるような視線を向けた。  「狡いですよ、そんな顔」  そう言われても困る。  私だって表情が乏しいだけで、笑わないわけではない。  「そんな顔って」  「俺の前だけにしてください」  「……そんなこと言われても」  「いいですね」  母親か、と言いたくなる彼の言葉に思わずむっすりとしてしまう。  しばらく睨み合っていたけど、彼は唐突に背もたれに身体を預けると、げらげらと笑い始めた。  今度はどうしたと怪訝に見つめれば彼は少し潤んだ目元を拭う。  「今日一日でたくさんの顔が見れました。嬉しいです」
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