『妖精の痕跡』2

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『妖精の痕跡』2

 タクシーを降りた伊織が古城に向かって歩き出そうとすると、ふとクリストファーが言った。 「あ、すみません。タクシーに忘れ物をしてきたようなので先に向かっていてください。すぐに追いつきます」 「あ、はい。それじゃあ入り口で待ってますね」  タクシーにのんびりと戻って行くクリストファーを後目に伊織が古城の入り口を目指していると、どこからやってきたのか一人の女の人に声をかけられた。 「ねぇあなた、ここで何してるの?」 「え? あ、えっと、僕はこういうもので……」  すかさず名刺を出す伊織に女の人は怪訝な顔をして名刺を見て眉根を寄せる。 「雑誌記者? 迷宮事件奇譚? 聞いた事ないわ」 「あ、はい。だと思います。勤めてる僕でさえもびっくりするぐらいマイナーなので」  正直に答えた伊織に女の人は一瞬目を丸くして笑った。  歳は同じぐらいだろうか? 緩くパーマのかかった赤毛がとてもチャーミングだ。綺麗な青い目はまるで抜けるような夏空のようで思わず伊織が見惚れていると、女の人はスッと名刺を取り出す。 「私はフリーのカメラマンなの。シンシアよ、よろしくね!」 「あ、伊織って言います。シンシアさんは何故ここに?」 「ここで起きた殺人事件、奇妙な噂があるでしょ? その現場を写真に収めに来たの。でもまさか雑誌記者さんと鉢合わせるとは思わなかったわ。ご一緒してもいい?」 「ええ、と言いたい所なんですが、連れに聞かないと……」  伊織はクリストファーを探すように辺りを見渡してみたが、まだクリストファーがやって来る気配はない。そんな伊織を見てシンシアは笑った。 「なんだ、お連れさんと来てるのね。じゃあ私は遠慮するわ! 何か面白い写真が撮れたらその時は是非写真を買い取ってちょうだい!」  そう言ってシンシアは伊織を置いてさっさと古城に一人で入って行ってしまった。  よくこんな所に一人で入れるものだ、などと伊織が見当違いな事を考えていると、後ろからようやくやってきたクリストファーに肩を叩かれた。 「何してるんです?」 「あ、クリストファーさん忘れ物ありました?」 「ええ、お待たせしました。では行きましょう」 「はい」  古城の中は外に比べると随分薄暗く、何だか陰湿な雰囲気だ。  ジョンが殺されていたのは地下だと聞いているが、既に清掃の手が入っているのか今の所それらしい雰囲気は全くない。  クリストファーはまるでこの城の事を知っているかのようにどんどん進んでいく。伊織はその後についていくのでやっとだった。  やがて地下に到着すると、クリストファーは長い廊下をじっと見つめて呟く。 「レッドキャップ……ねぇ」  「又聞きなんであれですけど、話に聞いた感じだとこの辺でこう、倒れてたみたいなんですよね。で、そこらへんにレッドキャップが立っていたそうです」  そう言って伊織が指さした先には何か天使のような彫刻が施されている。 「なるほど。イオ、あなたそこにこちらを向いて立ってください」 「はい。ん? イオ? それ僕の事ですか?」 「ええ。ほら早くしてください」  言われるがまま伊織がクリストファーと向かい合って立つと、徐に伊織を押した。思いがけない事に思わず伊織はその場で尻餅をつく。そんな伊織を見てクリストファーは口元に手を当てて笑った。 「ちょ! 何するんですか!」 「あなたのイラスト、ジョンはうつ伏せで倒れていた。喉から腹まで斧の傷があった。おかしいですよね?」 「ん?」 「今の様に正面から襲い掛かられたら、仰向けに倒れる筈ですよ。では、どうしてうつ伏せに倒れたのか。それは斧で襲った後にわざわざうつ伏せにしたという事です。さて、ここでレッドキャップの話に戻りましょう。レッドキャップの身長は30~50センチです。分かりますか? この矛盾が」 「! 警官は、倒れたジョンを見下ろすように赤い帽子の男が立っていた、と!」 「ええ。そんなはずはありませんよね? だって、彼らの身長はとても低いのですから。そもそもレッドキャップにはジョンを一人でひっくり返す事など出来ないでしょう。それにレッドキャップがそんな事をする意味が分かりません。彼らが殺人を犯すのは、自身が血染めになりたいからです。つまり、犯人はレッドキャップではない、という事です。さ、帰りましょう」  それだけ言ってクリストファーはまたスタスタと歩き出した。その後を伊織は渋々ついて行く。  タクシーに乗ってクリストファーの屋敷に着くまで、二人はずっと無言だった。真相が知りたいと泣いていたジョンの親友の顔が脳裏にチラつく。 「到着しましたよ、イオ」  タクシーを降りたクリストファーの言葉に小さく頷いて伊織はシュンとしたまま頭を下げた。 「そんなにレッドキャップじゃなかった事が残念ですか?」  クリストファーの言葉に伊織は首を横に振った。 「そうじゃなくて……むしろ、レッドキャップじゃなくて良かったって思ってます。僕はオカルトの類は一切信じてませんが、もしも彼らが存在しているとして、人間のいざこざに彼らが巻き込まれるのは嫌だなって思うんで……そうじゃなくて……何て言うか、結局何にも分からなくて、それどころかさらに犯人像が分からなくなってしまって、親友さんに申し訳なさすぎて……すみません。今日はもう帰ります。出不精なのにあんな所まで付き合ってくださって本当にありがとうございました。お礼はまた後日持ってきますね」  早口で言ってクルリと踵を返した伊織の肩をクリストファーが掴んだ。その拍子に必死になって我慢していた涙が零れる。 「何も泣かなくても。イオが優しい人間だという事はここに来た時から分かっていましたが、そんなガラスのハートで記者など務まるのですか?」 「……分かりません」 「まぁいいです。ではそんなあなたにこれを。明日、この人の所を尋ねて今日の事件の事を話してみてはどうですか? 何か面白い話が聞けるかもしれませんよ?」  そう言って手渡されたのは一枚のメモだった。そこにはエドワード・ガルシアという名前と住所と電話番号が書かれている。 「これは?」 「彼は研究者です。優秀過ぎて周りからは仲間外れにされている変わり者ですが面白いですよ。私の事を変人だというのですよ、いつも」  そんな事を言って小さく笑ったクリストファーを見て、内心では伊織もクリストファーは変人だと思っている事は黙っておいた。 「……分かりました。明日尋ねてみます。今日は本当にありがとうございました」 「いいえ、どういたしまして。では、また」 「あ、はい。また」  何となくさようなら、と言われると思っていた伊織は驚いたが、そんな様子になど気にも留めないようにクリストファーは屋敷に戻って行ってしまった。  翌日、伊織はクリストファーに言われた通り予めエドワードに電話をして事情を説明すると、面倒そうではあったがどうにか会ってもらえる事になった。  エドワードの家はクリストファーの屋敷とは違い都会にあったので、公共の乗り物で難なく辿り着く事ができた。  電話ではかなり不愛想な印象を持ったエドワードだが、実際にはどんな人物なのだろう。ドキドキしながらエドワードの住むフラットの部屋のベルを押すと、ドアが開いて中からボサボサ頭の男がぬっと顔を出す。  エドワードはとにかく背が高かった。165センチしか無い伊織からしたらエドワードは最早巨人である。思ってた事が顔に出ていたのか、目を丸くして見上げる伊織を見下ろしてエドワードはポツリと言う。 「……ちっさいな」 「ひど!」  思わず突っ込んだ伊織を見てエドワードはさして気にもしないように顎で部屋の中をしゃくる。何となく怖くて躊躇っていると、エドワードが徐に髪をかき上げた。 「このまま閉めるぞ」 「あ、すみません! お邪魔します!」  締め出されては困る! 伊織は慌てて会釈をしてエドワードの腕の下を潜り抜けて部屋に入るなり絶句した。ボサボサ頭で服などスウェットの癖に、部屋の中は塵一つ落ちていない。ピカピカだ。 「き、綺麗……ですね」 「ちょっと待ってろ。用意する」  そう言ってエドワードは伊織を残してどこかに消えてしまった。その間に伊織は何となく大きな本棚の本を眺めていたのだが、どれもこれも難しそうな本ばかりでちんぷんかんぷんだ。そこへエドワードが戻って来た。  ボサボサだった黒髪を後ろに撫でつけて服もちゃんと着替えているあたり、さっきのはもしかしたら寝起きか何かだったのだろうか。その顔は研究者からは程遠い、精悍な顔立ちをしていた。 「コーヒーで良かったか?」 「あ、はい。ありがとうございます。先程お電話しました、雑誌迷宮事件奇譚の長谷川伊織と申します。一応言っておくと23です」 「……歳は別にどうでもいいが、日本人か?」 「はい。今日はよろしくお願いします」 「ああ、よろしく。ところで俺の名前を誰から聞いたんだ?」  エドワードの言葉に伊織は一枚のメモを取り出してここに来る事になった経緯を簡単に話した。すると、エドワードの視線がどんどんキツくなっていく。最後には、 「今すぐ帰れ。あの変人に紹介されてきたんなら話は別だ」 「ど、どうしてです? クリストファーさんはあなたの事をとても尊敬しているようでしたが」 「尊敬? 違うな。あれは俺を馬鹿にしてるんだ。何でもいい、帰れ」 「い、嫌です! 僕は記者です! せめてこの仕事だけはちゃんと見届けてから辞めたいんです!」  腕を掴まれた伊織が必死になって抵抗すると、エドワードがふと引っ張るのを止めた。 「? 何だ、辞めるのか?」 「いえ、まだ……分かりませんが……」  俯く伊織を見てエドワードは何かを感じ取ったのか、ドカッとソファに腰かけて大きなため息を落とす。 「まぁいい。話せ。何について調べてるんだ?」  エドワードの言葉に伊織はコクリと頷いて今回の事件を話した。  ついでに当初のレッドキャップが犯人だろうと言われていた事はあっさりとクリストファーの手によって否定されてしまった事も。 「それはあの変態の言う事が正しいな。妖精なんて非科学的なものを俺はそもそも信用していない。犯人は間違いなく人間だ。おまけに相当近しい奴だよ」 「そ、それは何故……」 「まず一つ。争った形跡が無いという事。そしてもう一つ、ジョンの靴を簡単に盗み出せる事。まぁ間違いなくその親友が犯人だろうな」 「えっ⁉ で、でも彼にジョンを殺す動機なんて何も……」 「動機なんて何でもいい。ここで重要なのは誰が殺したのかって事だ」 「そ、それはそうですが……」 「まず、凶器は斧だ。何故斧なのか。人を殺すならもっと手軽な武器はいくらでもある。まず銃。これは音が出るから駄目だ。次にナイフ。これが一番現実的だな。けれど何かの理由でナイフは使わなかった。それは何故か。ナイフを使えない事情があったという事だ」 「ナイフを使えない……事情……」 「ああ。考えられるのはいくつかあるが、恐らくジョンは先端恐怖症だった。ナイフを見せると怯えて暴れる可能性がある事を、犯人は知っていたんじゃないか? つまり、犯人はジョンのそんな事まで熟知している人間だと言う事だ。そして靴。お前、言ったな? 警官とジョンの足跡以外が無かった、と」 「い、言いました。だからこそ捜査が難航して打ち切られたと親友さんは言ってました」 「つまり、現場には警官を除いてジョンの足跡しか無かった、ではなくてジョンの足跡が二人分あったんだ。だから捜査が難航した、と考えるのが妥当だろう」  伊織はメモを取りながらも驚いていた。エドワードはまるでその現場を見ていたかのように細かく犯人像を作り上げていくからだ。 「言っておくが、俺の言った事は全て憶測だ。証拠も何もないし、その親友とやらの人となりも事情も知らない」  「で、でもこれしかない気がしてきました! ただ……そうなると僕はあの親友さんにまんまと騙されたという事でしょうか……」  伊織はメモを取る手を止めてポツリと言った。今頃あの親友はほくそ笑んでいるのだろうか。
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