『妖精の痕跡』3

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『妖精の痕跡』3

「そうとも限らんがな」 「え?」 「ジョンは先端恐怖症だった。もしかしたら親友の方は多重人格者だったとかな」 「多重……人格……」 「ああ。猟奇的な事をする人格者が親友の中に居たとしよう。ハッと我に返った時、親友が目の前で死んでいた。自分に殺した記憶など一切ない訳だ。そりゃ怖くなって逃げるだろ。混乱して一時的に記憶が曖昧になっても何らおかしくない」 「で、でもどうしてわざわざうつ伏せになんて……」 「単純に見たくなかったんじゃないか? 親友の恐怖に歪んだ顔を。警官が何故赤い帽子の男が側に立っていたと証言したのかは俺にも分からんが」  エドワードはそこまで言って初めて考え込んだ。  けれど、伊織はそれを聞いてどうして親友がわざわざ死体をうつ伏せにしたのかが分かってしまった。あの親友の取り乱し方を見れば、エドワードにもすぐに分かったかもしれない。 「好き……だったのかもしれませんね」 「好き? 親友がジョンをか?」 「ええ。だとしたら、何となくうつ伏せにした理由が分かる気がします。だって、エドワードさんが言う通りなら、親友は気づいたら目の前で好きな人が亡くなってたって事ですから」  それはどれほど苦しかっただろうか。自分の知らない人格が好きな人を殺めてしまうだなんて、ちょっとやそっとじゃ乗り越えられそうにない。  どっちにしろ辛い事件には変わりないが、親友はたとえ違う人格だとしても誰かを殺したのなら裁かれなければならないだろう。 「まぁそうかもな。それに、もしかしたら多重人格でも何でもなく、告白したら振られて逆切れした可能性だってある。ショック過ぎて忘れ去っているのかもしれないし、本当はもっと違う第三者が居たのかもしれん。証拠が無いならどうしようもない。そういう意味ではこの事件はかなり用意周到に計画された犯行だということも考えられる。どうする? 記事にするか?」  エドワードの言葉に伊織は小さく首を振った。自分は警察じゃない。もしもこの仮説が当たっていたとしても、これを警察に伝える気もない。あの親友が犯人にしてもそうでないにしても、面白おかしく書き立てていい話じゃない。誰かが死んでいるのだ。 「書きません。これは記事にして面白がる話じゃない。僕はそう、思います」 「そうか。まぁ、その方がいいだろうな。こんな仮説を書いて誰かが信じ込んだら困るからな」 「はい! エドワードさん、今日は本当にありがとうございました! 少しだけスッキリしました」  騙された訳ではないのかもしれない。そう思えただけでもう十分だ。この事件を追うのはもう止めよう。 「ああ。またな、イオ」 「あ、あなたもイオって呼ぶんですか?」 「? あなたもってどういう意味だ?」 「クリストファーさんもそう呼んでたので」  それを言った途端、エドワードは苦虫を潰したような顔をして言った。 「イオリ。俺はこう呼ぶ事にする。それじゃあ、またな」 「あ、はい。お礼はまた持ってきます。ありがとうございました」  何となくクリストファーと同じような反応をするエドワードに笑いを噛み殺しながらフラットを出ると、町田から連絡が入った。 『おい! お前、どこに居るんだ! お前が聞き込みに行ったあのジョンの親友が誰かに殺された!』 「……は?」 『現場に向かえ!』 「は、はい!」  一体何が起こったのかよく分からないまま伊織は走った。そして現場で見たのは、人だかりと救急車とパトカーだ。 「伊織!」 「? シンシア……さん?」  伊織は声のした方を向いて驚いた。そこには相変わらず立派なカメラを胸から下げたシンシアがこちらに駆け寄ってきていた。 「また会ったわね! こんな所で会うなんて……嫌だけど」  そう言ってシンシアは悲し気に視線を伏せた。 「そうだね……殺人なの?」 「そうみたい。でも、笑ってたんだって」 「笑ってた? どうして……」 「分からない。第一発見者が見つけた時、その男の人にはまだ息はあったみたいで、すごく晴れやかな顔をしてレッドキャップって呟いたって……それに、何故か足を攻撃されて倒れた所を斧で切りつけられたみたい。警官が不思議がってたわ」 「……レッド……キャップ……」  ゴクリと伊織は息を飲んだ。ふと蘇るクリストファーの『レッドキャップの身長は30~50センチ』という言葉を思い出したのだ。  青ざめる伊織を見てシンシアがポンと手を打って伊織の腕を引き、現場から二人で離れた。 「ねぇ! あの古城で撮った写真、見せてあげるわ。とても綺麗な夕日が撮れたのよ。悲しい事は忘れましょう」 「うん、ありがとう」  そしてシンシアは古城の写真を一枚一枚見せてくれた。その中にはあの地下室の写真もあった。それを見てふとある事に気付く。 「これ、地下室の入り口から撮ってるの?」 「ええ。この時間だけ夕日が上の隙間から入り込むみたいなの。まるで彫刻が三角帽子被ってるみたいに見えて面白いから撮っちゃった。でも隙間風が何かの叫び声みたいに聞こえて怖くなって、これ撮ってすぐ帰ってきちゃった」  何気ないシンシアの言葉にハッとした伊織は、断りを入れてシンシアと別れて駆けだした。向かう先はクリストファーの屋敷だ。高かろうが関係ない。タクシーを止めた伊織はクリストファーの住所を告げて、クリストファーの屋敷に急いだ。  クリストファーの屋敷に辿り着くと、家の前には一台の可愛い車が停まっている。伊織はそこでタクシーを降りて呼び鈴を押すと、中からクリストファーが顔だけだして手招きしてきた。 「お、お邪魔します。えっと、お客さんが来てるんじゃ……」 「大丈夫、あなたも知ってる人です。その様子だと何か分かりましたか?」 「分かったというか……そうかもしれないなってだけ、なんですけど」 「そうですか。どうぞ」  そう言って案内された部屋に入ると、そこにはついさっき別れたばかりのエドワードが座っていた。 「ほんとに来たのか」 「な、何故ここに……」 「一言こいつに文句を言ってやろうと思ってな。文句だけ言って帰ろうと思っていたら、もうすぐイオリが来るから聞いていけと言われたんだ。で、何が分かったんだ?」  エドワードがそう言ってやはり顎でしゃくって椅子を勧めて来る。まるで自分の家のような態度である。その間にクリストファーがどこからともなく不思議な匂いのする飲み物を持って現れた。 「はい、どうぞ」 「あ、お構いなく。えっと……あの親友さんなんですが……ついさっき誰かに殺されてしまいました……」  伊織が視線を伏せて言うと、クリストファーはただ頷きエドワードはギョッとしたような顔をしている。 「やはり第三者の犯行だったという事か?」 「いえ、僕はそうは思いません。彼は殺されたにも関わらず、笑顔でレッドキャップ、と呟いて亡くなったそうです」  そう言ってイオリは先ほどシンシアに聞いた話を二人に話した。  それを聞いてエドワードは不審気な顔をしてクリストファーは薄い笑みを浮かべている。 「それから彼がどうして警官がレッドキャップにジョンが襲われたと証言したかが分かりました。ジョンが殺されたあの時間だけ、地下室の壁には夕日が差し込んで彫刻の頭の所に赤い三角の帽子が現れるんです。それを警官はレッドキャップだと思い込んだのではないかな、と。そして親友さんは自分もジョンと同じようにレッドキャップに殺された事によって笑ったのかと……思いまして……」  自分でもこの科学の進んだ時代に何を言ってるんだとは思うが、そう考えると全てがしっくりくるのだ。 「そんな訳あるか! 誰か他に真犯人が居るに決まっている!」 「そうでしょうか? 案外、本物のレッドキャップが出たのかもしれませんよ?」  そう言ってクリストファーはチラリと視線を庭に移した。それに釣られるように伊織もまた庭に視線を移してギョッとする。 「い、い、今、に、庭……庭に……」 「目の錯覚ですよ。イオ」 「で、で、でも!」  赤い三角の帽子が窓の外を通ったような気がして慌てて窓に近寄ったが、そこにはもう何も居なかった。 「ね? 何も居ないでしょ?」 「はあ」  クリストファーはそう言って意味ありげにウィンクをして笑う。 「結局事件の真相は分かりませんでしたね。でも、私はイオが導いた答えでいいと思います。愛する人を殺したレッドキャップに自分も殺された。最後の彼の笑顔は、きっと安堵と愛する人にもう一度会えるという喜び、ではないでしょうか」  クリストファーの言葉を聞いてエドワードが机を勢いよく叩いて立ち上がる。 「くだらん! 何がレッドキャップだ! イオリ! もう一度調べなおすぞ!」 「も、もういいですよ! 僕は今回の事で思い知りました。やっぱり記者は僕には向いてません。明日、編集長に相談してみようと思います」  事件は大きくても小さくても色んな人の想いが絡まり合っている。それを面白おかしく書き立てるのは、やはり自分には出来ない。  そんな伊織の言葉を聞いて、クリストファーとエドワードは二人してキョトンとした。 「私は向いてると思いますけどね」 「俺もそう思う。そもそも、向いてなきゃ簡単にその親友もお前を頼らなかっただろうが。お前の人となりを知って親友はお前を頼ったんだよ。俺が行って同じ事を聞いたって、絶対に何も話してくれなかったと思うぞ」 「私もです。それはねイオ、あなただから出来たんですよ。それに未解決事件は何も殺人だけではありません。もっと面白そうなのは山ほどあると思うんですけどね」 「面白そうな……未解決事件?」 「ええ。突然ゲージから消えた猫とか、盗まれたダイアモンドとかそういうのですよ。どうせ迷宮事件奇譚はマイナーな雑誌なのでしょう? 何も他の雑誌のように大きな事件など扱わなくてもいいではないですか」 「娯楽としてはそういう事件の方が面白いしな。新聞じゃ取り扱えないような物を取り扱えばいい。何も全部の雑誌が同じような事件を追わなくていいだろ?」  そう言って二人は同じような顔をして笑う。本当はこの二人、とても仲が良いのでは? と思うが、それは口に出さないでおいた。 「もう一度……考えてみます。また手を貸してもらう事があるかもしれません。その時は、どうぞよろしくお願いします」  二人に頭を下げると、二人は同時に言った。 「ええ、こちらこそ」 「ああ、まぁ気が向いたらな」 「はい! ありがとうございます!」  もう一度頭を下げて笑顔を浮かべた伊織に、二人はやっぱり微笑んでいた。  この不可解な事件はこの後警察の手によって改めて調べられたのだが、親友の家の納屋の床下からエドワードが言っていたようにジョンの靴とジョンを殺害した凶器だろうと思われる斧が見つかった。その靴にはジョンの血痕がしっかりとついていた。  けれど不思議な事に斧には何故かこの親友の血も大量についていたのだと言う。表向きには親友の死は自殺と断定されたが、このニュースは今でもたまに誰かが思い出したかのようにレッドキャップの仕業だとネットで話題になっている。
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