鬼軍曹に花束を

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「実は……」  席に戻ろうとした私を支社長が呼び止める。 「そんな箱崎さんのために、スペシャルゲストをお招きしているのです」  予期せぬ事態に、目が点になる。 「それではご登場いただきましょう。北米支部統括支部長、並びに取締役事業開発部長の、高久吉益さんです」  カラリと開いた襖の下を、頭を屈めるようにして入って来る長身の男を見て、会場がどよめきと拍手に包まれた。間違いなく高久その人だった。 「箱崎さん、お久しぶりです!」  満面の笑みで握手を求める高久に、狐に摘ままれたような気持ちで応じる。 「高久君、どうして? まさかわざわざ私のために、北米から来たんじゃないだろう?」 「そのまさかですよ。箱崎さんが退職されると聞き、かつての教え子としてはいても立ってもいなくなり、昨日夕方の飛行機に飛び乗ってやって来ました。いやぁ、間に合って良かった」  胸にこみ上げる熱いものを誤魔化そうと、私は慌てて鼻をすすった。  早速促され、高久はマイクを握る。おそらく初めて見るであろう雲の上の存在の登場に、誰もが興奮と驚きを隠せない様子だった。 「実はずっと裏で聞いていたのですが……鬼軍曹、ですか。聞いただけでなんだか懐かしくなってしまいますね。今でこそこうして恵比寿様か大黒様かというぐらい穏やかな人に見えるかもしれませんが、昔の箱崎さんは本当に情熱的で、それはそれはよく怒られたものです。あまりにも怒鳴り声が飛び交うので、ある日壁一枚隔てた隣の部署に用事があってお邪魔したところ、そこにいた女子社員が怖くて泣いていた、なんて事もありました。しかしまぁ、時代だったんでしょうね。今では到底想像もつかないかもしれませんが、文字通り血反吐を吐き、魂を削りながら成し遂げた仕事の数々は今でも思い出深いものです。Qシリーズの話なんていうのは、まさにその一例です」  社内一の出世頭は、流石に話も上手い。あっという間にみんなを惹き込んでしまった。 「本当に箱崎さんに育てられた人間は数知れず……私もそうですし、本社内にも、ここを始め全国各地のグループ各社にも、箱崎さんの教え子達は広がって、今ではそれぞれが当社を支える礎となっているわけです。箱崎さんが辞められた後も、鬼軍曹の教えは目に見えないDNAとして未来永劫、当社に生き続けて行く事でしょう。代表として私が、箱崎さんに誓いますよ。箱崎さん、本当にこれまでありがとうございました。今後の我が社の未来は鬼軍曹の弟子である私達に任せて、安心して第二の人生を過ごして下さい」  再びがっちりと両手を握られ、私は耐え切れなくなって涙を零した。一番弟子とはいえ、出世街道をひた走る高久と窓際へ追いやられた私が顔を合わせる機会など、もう十年以上もなかったというのに。  私のために、わざわざ駆け付けてくれるとは。  私達のやり取りを見て涙を流す者もいる。今まで厄介者だと思われていた爺さんの面目躍如といった所だろう。これ以上ない餞だ。  私は本当に良い弟子を持ったものだ。  彼のような傑物を輩出しただけでも、私の会社員人生が報われたような気がした。
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