鬼軍曹に花束を

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               ※ 「それじゃあ、お疲れ様でした」 「お元気で」 「いつでも遊びに来て下さいね」  寿司屋を出た私を、みんなが見送ってくれる。  大量の記念品は自宅に郵送してくれるというが、花束だけはどうにもならない。定年退職を迎えた男が大きな花束を抱えて電車に揺られるというメロドラマみたいな展開が、こんなに早く自分の身に訪れるとは思いもしなかった。  と―― 「箱崎さん!」  後を追い掛けて来たのは、高久だった。 「電車で帰るおつもりですか? 良かったら今、タクシーを呼びますよ」 「いや、そこまで世話になるわけには……最後の通勤電車だし、感傷にでも浸りながらゆっくり帰る事にするよ」 「でもだいぶお酒も召し上がってましたし。奥様も首を長くしてお待ちになられてるんじゃないですか? 今夜は早く帰って、奥様にお顔を見せてあげて下さい。どうせ僕もホテルまではタクシーで行くつもりですし、良かったらご自宅までお送りしますよ。ひとつ昔話の続きでも、いかがですか?」  願ってもない提案だった。おそらく高久の顔を見るのも今日が最後になるだろう。積もる話はいくらでもある。  運よく通りかかったタクシーに乗り込むと、車が動き出すのを待って、高久はおもむろに口を開いた。 「あの話、よくされているんですか」 「話というと?」 「私の事です。箱崎さんの一番弟子だという」 「ああ、いや……こっちで言ったのは初めてだよ」 「そうだったんですか。いえ、時々行く先々で聞かれる事があるものですから。箱崎さんの一番弟子って本当ですか、と。みんな疑ってるんですね。まったく、困ったものだ」  苦笑いを浮かべる高久に、少しばかり気恥ずかしさを覚える。吹聴する意図があったわけではないが、確かにこれまでの赴任先でも、酔いが回った時などにはつい漏らしてしまう事があった。まさか本人の耳にまで届いているとは。  返事に窮する私を見て、高久が話題を変えた。 「こちらの子会社に来るのは初めてだったんですが、なかなか良さそうなところですね。みんな元気に満ち溢れて、仲も良さそうだ。どうです? こちらでは、鬼軍曹を発揮するような機会はなかったんですか?」 「いやぁ、とてもとても。そう見えたのはみんな本社の重役の前だからと猫を被っていただけだよ。磨けば光るどころか、自己主張ばかり強くて角ばった、どうしようもない石ころばかりだ。相手をする気にもならんよ」 「なるほど。それは……良かった」
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