鬼軍曹に花束を

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「ちょっと待ってくれ! 確かに少なからず、そういう例があった事は認めよう。私も当時は若く、血の気も荒かった。時には行き過ぎる指導があった面も否めない。しかしあくまでそれは愛情の裏返しで……」 「死ね」  突如ぶつけられた言葉に、私はぎくりと身を竦めた。 「……という言葉が、愛情なんですか? 馬鹿。アホ。のろま。役立たず。辞めちまえ。お前の代わりなんかいくらでもいる。あなたが私達に浴びせた言葉は、怒りに任せた罵声ばかり。それが指導だったとでも? 確かに私達にも至らない点はあったでしょう。しかし、叱ると怒るをはき違えたあなたは、感情の赴くままに怒鳴り散らしていただけだ。あれは指導とは言えない。あなたは指導者ではなかった」  ようやく私は、高久がわざわざやってきた真の意味に気付いた。餞どころか、お礼参りのつもりか。最年少役員まで上り詰めたような男が、なんとみみっちい。そう思うと今度は笑いがこみ上げる。 「なるほどな。しかし、実際に私は実績を残しただろう。Qシリーズであり、お前の存在こそがその最たる例じゃないか。お前自身が否定しようと、あの企画が私の下で生まれた事実は……」 「記憶を改組するのはやめてください」  遮るようにきっぱりと、高久は言い放った。 「Qシリーズの成功に、あなたは一切関わっていない。当時、独自規格だという六ミリビデオカメラのプロモーションに夢中だったあなたは、落ち目のQシリーズを私に押し付けただけだ。私がエントリーモデルとして売り出したいと相談した時、ご自分がなんと返したか覚えていますか? 勝手にしろ、こっちはそれどころじゃない。あなたが言ったのはそれだけです。お陰で私はたった一人で開発部や上層部と折衝しなければならなかった。そんな私に、あなたは容赦なく自分の仕事まで押し付けた。あなたはQシリーズの成功になんて何一つ寄与してはいない。たまたま上司の立場にいただけで、当時のあなたが残した実績と呼べるものは六ミリビデオカメラの失敗だけだ。勝手に自分の手柄のように語るのはよして下さい」  怒りをぶちまけられ、胸の中が苦い想い出でいっぱいになった。  当時隆盛を誇っていたフィルム規格は八ミリだったのに対し、生み出した独自規格の六ミリビデオカメラは、その分本体サイズのコンパクト化・軽量化に成功した。当時私を可愛がってくれていた常務の意向もあり、間違いなく今後は六ミリフィルムこそが主流になると、全力でプロモーションに取り組んだのだが……他社製品との互換性のない独自規格である点がかえって仇となり、あっという間に撤退を余儀なくされたのだ。  常務自身の失脚とともに。  それから間もなく、私もまた広告部を追われる事になった。  言葉を失う私に、高久は続けた。 「あなたの功績を紹介するために、鬼軍曹や人材育成という言葉が使われる理由がわかりますか? それは決して、あなたが人材育成に寄与したからじゃない。三十年在籍したにも関わらず、あなたが残したのは人前では披露できないような汚点ばかりで、何一つ実績と呼べるようなものがないからです。長く勤務してればそれなりに部下や後輩はいただろうからと、気を遣って濁した結果が人材育成に寄与した、という紹介になるだけですよ。誰一人として、あなたを恩師と仰いでいるような人間はいない。社内のどこを探したところで、あなたのDNAなんて何一つ残ってやしませんよ」 「……あのぉ、そろそろ着きますけど」  運転手が申し訳なさそうに言う。程なくして、車はマンションの前に停まった。 「貴重な時間をありがとうございました。お陰で、ずっと貯め込んでいたものを全て吐き出す事ができました」  タクシーを降りた私に、高久は何の抑揚もない声で言った。 「今後我が社の人間に会ったとしても、今日のように記憶を捏造する事のないようくれぐれもお願いします。おそらく、あなたに会いたいと思う人間なんて一人もいないでしょうが」 「クビに追いやられた年寄り一人のために、取締役が海を渡ってまで昔の恨みつらみを言いに来たなんて知られたくないだろうしな」  私が精一杯の嫌味を込めて言うと、彼は鼻で笑い飛ばした。 「あなたの話なんか、誰が信じるんですか」
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