鬼軍曹に花束を

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鬼軍曹に花束を

 その日、私は退職日を迎えた。  と言っても会社が用意した早期定年退職制度に応じるという、実質的にはお払い箱に近い形だ。  本来予定されていた定年年齢まで、まだ十年近くも残したまま会社を去る事になる。  しかも務めたはずの本社ビルからは遠く離れた地方都市にある、出向先の子会社で。 「おめでとうございます。今まで本当にお疲れ様でした」  送別会の会場となった寿司屋の二階の大広間で、沢山の拍手の下、女子社員から記念品と花束を受け取る。花束に添えられた〈おめでとうございます〉のメッセージカードと、向けられる幾つもの笑顔に、私は違和感を抱かずにはいられない。 「まだまだ教えて欲しい事がいっぱいあったのに」 「もっと箱崎さんと一緒に働きたかったです」  もっともらしいねぎらいの言葉の裏には、どんな想いが隠されているのだろう。  本社から押し付けられた目の上のタンコブ。ろくに働きもせず高給に預かるごく潰し。老害。あるいは単にくそじじい。  ついにいなくなってくれてせいせいする、といったところか。  我が社に限らず、こと世の中において本社から子会社に飛ばされるような人間には二種類しかいない。将来を嘱望され、若い内から責任あるポジションを経験させるためにと武者修行に出されたエリートか、本社で持て余されて実質的な戦力外通告代わりに人事異動を突き付けられたロートルか。  その、私とは対極のエリート筋にあたる支社長がマイクを手に取った。社内行事の司会など適当な若手にでも押し付けておけば良いのに、自らすすんで務めるのだという。よっぽど酔狂か、それともこれも時代の流れなのだろうか。私には理解しかねる。 「箱崎さん、勤続三十三年、大変お疲れ様でした」  まだ三十代後半。トレーニングを欠かさないという均整の取れた体で細身のスーツを小粋に着こなし、清潔感と瑞々しさに満ち溢れた希望の塊のような男だ。あと二、三年もすれば本社に戻り、出世街道のど真ん中を堂々と闊歩するのだろう。 「皆さんに改めてご紹介しておくと、箱崎さんは入社以来、主に本社広告部にてご活躍されてきました。特に人材育成の点においては鬼軍曹の異名を取り、厳しくも愛情をもって若手の指導に尽くして下さった事から、古株社員の中には箱崎さんの薫陶を受けて一人前に育てて貰ったという人間も少なくありません。残念ながら当社に赴任されてからはそういった機会もなかなか設ける事ができませんでしたが……」  当然だろう。ここには私に教えを乞うような熱意ある従業員はいない。上場企業のグループ企業だからと、安穏と日々を過ごす堕落した人間ばかりだ。
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