(第一部) 願書は出され、名は勇者

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(第一部) 願書は出され、名は勇者

 美しいものは、美しいものから生まれる。その反対に、醜いものは、醜いものから生まれる。それが自然界の道理だ。  スズメの子はスズメに、カケスの子はカケスに、鷹の子は鷹になる。  カエルの子はオタマジャクシだが、どんなにあの親のようにはなりたくないと踏ん張ってはみても、時が来ればみんなカエルになっていく。  木から降りて、尻尾をなくし、ジャングルを出て、一丁前に街に住むことを覚えた人間といえど、その一生の始まりはカエルと大差ない。  どんなに科学が進歩しようと、どんなに技術が発達しようと、どんなに月面着陸しようと、いつまでたってもサルっぽさが抜けない。  自然は混沌の中に秩序を有し、人間は理性の中に狂気を宿す。  大根にバラの花は咲かない。  醜いアヒルの親から、美しい白鳥が生まれることはない。  孔雀は生まれながらにして孔雀であり、ドブネズミは生まれながらにしてドブネズミだ。  だから上に生まれた者は常に上にいて、下に生まれた者はいつまでも下にいるのである。  現代の日本は完全に階級社会(クラスソサイエティ)だ。貧富の差は広がり、固定され、かつてあった繁栄は遠い海の彼方に行ってしまった。  いや、現代に限ったことではない。有史以来、この国にはいつだって階級というものが存在してきた。  農耕が始まり定住が当たり前になると、次に生まれるのは身分である。  弥生時代には「クニ」が生まれ、各地に小国の王が現れた。『後漢書』東夷伝には、倭国王帥升等(わこくおうすいしょうら)が奴隷を献上したことが記されている。  やがてヤマト政権が全国を統一し、戸籍によって統治を行う管理社会が完成した。貴族と農民が分かたれ、農民は貴族に奉仕する。  平安時代末期より武士の力が強くなるが、貴族制度を崩壊させるまでには至らない。それどころか、権力を得た武士は、自らを最上位とする、新たな別の身分制度を作ってしまった。  それまでの支配者に代わり、新しい支配者が生まれる。地方の下級武士から始まった明治維新も、結局は権力闘争の勝者が交代しただけに終わった。  神武東征以来約2600年、歴史上この国に真の意味での平等が訪れたことはない。  戦後僅かな間だけ、全ての人が下流という身分になり、高度経済成長によって全ての人が中流となった。  しかし、そのまま全ての人が上流に行けるという幻想は、バブルと共に弾け飛んだ。  そして長いデフレを経過して、新しい下流が生まれた。  法律。規制。社会的同調圧力。排他主義の精神。他者を攻撃することは自己を守ること。  弱者がすることは、強者に歯向かうことではなく、強者になろうとすることでもなく、もっと弱い者を生み出すことだ。下流が生まれれば、必然的に最下層が誕生する。  歴史を学ぶまでもなく、日本人とは、放っておけば身分制度を作る民族だ。  現代の身分制度は、成文法上は存在していないとされている分だけ、かえって性質(タチ)が悪い。  最下層の人間の頭上には、いつも分厚いガラスの天井が横たわっている。だが、それを割る力はない。  また、現実世界には最早未開拓の土地はなく、隅々にまで理性と啓蒙の光が当てられ、自らの恥部を隠してくれる暗闇も存在しない。  SNSが発達し、正義の名の下に不寛容が横行する。秘密にしておきたい過去は暴かれ、口に出さない言葉まで公共の掲示板に(はりつけ)にされる。  法による裁きは最早意味をなさず、大衆迎合という暴力装置によって公開私刑が実行される。  ガラス張りの世の中---。  いつでもどこでも誰かの目が光っている。  まさに理想的な反理想郷(ディストピア)。  そんな窮屈な世界に希望を見出せるはずはなく、若者は人類に残された最後のフロンティアへと、舟を漕ぎ出す。  異世界---。  恥辱も欲望も卑下も自己愛も、抱き締める場所。 「一応、念を押すけど、ここでいいんだな」  事務的な、あまりに事務的な声だ。一応、俺は確認したからな、というアリバイ作り。  高校進学のための進路相談と銘打って、各生徒10分ずつの時間が割り振られている。特に会話らしい会話もなく、担任の教師は本題に入った。 「ええ。両親のたっての希望ですし」  一応、事務的に答えておく。この15年間、人生において学んだことは、世界を超越論的に見るということであった。関わりはあくまで少なく、最小限に。決して愛着や撞着を抱いてはいけません。 「無学(むがく)の成績だったら、都立の進学校にも余裕で行けるけど、いいんだよな」  ここで駄目だと言ったら、余計ややこしくなることはわかっているだろうに。 「はい」 (行けるけど、行けるお金はないですから) 「とても危険なところだってのも、わかってるな?場合によっては、帰って来れないかもしれないぞ」 「覚悟の上です」 (もう二度とこちらの世界には帰って来るつもりはありません) 「そうか。じゃあ、ここに願書を出しておくからな。私立ファンタジア学園」 「ありがとうございます」 「勇者科でいいな。将来的に異世界に行くなら、勇者が一番活躍できるからな。偏差値は一番高いけど、それでも都立の一番下よりも低いみたいだな。ここは受験問題を公開してないから、俺にもどんな問題が出るのか分からないけど、ま、無学だったら楽勝だろ」 「はい。勉強はしてきましたから」 (教科書以外の本は読んだことありませんから) 「受験は東京で受けられるそうだ。朝の通勤ラッシュには、気をつけろよ」 「大丈夫です」 (勇者の移動は徒歩が基本です。電車に乗るお金があるくらいなら都立に行っています) 「じゃ、頑張れよ、無学勇者(むがくゆうしゃ)」  中学三年の冬。こうして僕は人生を決める願書を出した。  私立ファンタジア学園勇者科に。
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