第一部 【第一章 初めてお話ししますよね?】

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「んん~……今日もよく寝た気がするわぁ」  寝起きとは思えないほどにうつくしい顔で欠伸をし、むにゃむにゃと呟いたその少女。  まだとろんとしている瞳は夏の空のように澄んだ青色で、長い睫毛にふちどられている。無造作におろされたゆるく波打つ髪は秋の稲穂のごとく黄金色に輝き、梳るまでもなくさらさらだ。  彼女こそ、このアンセストラル王国一の大貴族の娘、ティアリス・ルミエールである。  美の女神も裸足で逃げ出すような可憐な美少女なのだが、驚くことに婚約者もいなければ親族以外の男性と踊ったこともない。  なぜなら―――― 「よしアリス、今日もよろしくね!」 「はい、心得ております」  無表情が売りの赤毛の侍女・アリスに手をひかれ、メイクルームへと入っていく。 「ちょ、待っていたいいたいいたい!」 「そんなに引っ張らなくても……!」  そんなティアリスの悲鳴や、謎の物音を一時間ほど聞かされたあと。 「さすがよ? さすがなのだけれど……今日は出かけないんだし、そんな気合入れなくてもいいっていうか……」 「いえ、いつ何時来客があってもおかしくない家柄ですので」 「……まあ、確かにそうなのだけれど……」  メイクルームから、アリスに手をひかれ、とんでもなく地味な娘が出てきた。  髪はくすんだ茶色で、瞳はアンセストラルで一番多い胡桃色。頬にそばかすが散っていて、分厚い眼鏡をかけているからか、どことなく陰気な印象が与えられる。  ドレスが一級品であるだけに、衣服が歩いているようにも見えてしまう、存在感の薄い顔立ちだ。 「いつも通り、元の顔は影も形もなくなっておりますよ。これがあの麗しいティアリス嬢とは夢にも思わないでしょう」 「ええ、私にもそう見えたわ。それじゃあ、家族に挨拶をしに参りましょう」  そう、この地味子ちゃんこそティアリスである。  過保護な父兄の『この子に恋だの愛だのはまだ早い‼』という血気迫った訴え。  そこに、ティアリス本人の『下手に目立ってもめんどくさいだけ。出来ることなら田舎に嫁いでスローライフを送りたい』という考え方が見事にマッチしてしまった。  その結果、ティアリスは毎日誰の記憶にも残らないように見た目を地味化し、夜会などでは見事に壁の花となっている。おかげでルミエール家に令嬢がいることすら忘れられていたりもするのだが、それくらいは些細なことだろう。  ちなみにティアリスにはもっと大切な理由もあるのだが、家族にすら明かしていないことなのでここでは割愛させていただく。 「お父様、お母様、おはようございます」 「あぁ、ティアリスか。おはよう、今日もすばらしい化粧だな……」  なんともいえない表情を浮かべているのは、ティアリスの父であり、このルミエール公爵家当主でもあるクロマティ・ルミエールだ。  うつくしい金髪に琥珀色の瞳を持つ美丈夫で、実年齢より一〇歳くらい若く見える。 「そうね、さすが詐欺メイクの天才・アリスちゃん~っ!」 「お褒めに預かり光栄です」  その妻、アマンド・ルミエールは豊かな黒髪に真っ青な瞳を持つ異国風の美女だ。  祖母が東の国の人らしく、アンセストラルではとても珍しい色合いをしている。四児の母なのだが、二〇代前半といわれても大抵の人は信じてしまいそうだ。 「おふたりは今日も変わらずうつくしいですね……」 「うふふ、そういうティアリスちゃんはそのコンシーラー剥がしたら私たちの何倍も綺麗じゃないかしら?」 「ティアリス、私としては敬語がないほうが嬉しいのだが……」  ……若々しく、とてもうつくしい夫婦なのだが、少し親バカなのが玉に瑕だ。 「お兄様たちは起きていらっしゃいますか?」 「んー、ミリスくん以外は起きていた気がするわ」 「……起こしてまいりますわ」  どんなに起きない人でもティアリスが行くとなぜか飛び起きるので、時々兄や使用人を任されることがある。  最近はそれを見越してティアリスから申し出ることもままあるため、使用人たちの間では『遅くまで寝ていたほうが得だ』なんて囁かれていることを、ティアリスは知らない。 「お、ティアリス頼んだぞ」 「はい、では失礼いたします」
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