理不尽な大人の組織

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理不尽な大人の組織

 家の内はこんな感じだったけれど、外はどんな感じかというと幼稚園児の関わる組織は幼稚園。    自宅近くに保育園があって近所の友達もほとんどが保育園に行くと言っていたので僕も母親なる者に頼みこんだのだけれど、「保育園はお金がかかるので幼稚園」とその頃にはあまりピンと来ない理由で歩いてはとても行けない町の幼稚園に行くことになった。  町の幼稚園からはスクールバスは出ていなくて、普通のワンマンバスに乗って行った。    僕はこのバス通学がとても嫌だった。乗り物良いする体質であること、自分の身体が受け身的に動かされる気分が不快であること、最後にバスに乗った行く先も帰る先も不幸な出来事が僕を待っていたこと。   その幼稚園はマーチングで有名なところであり厳しい楽器の練習が僕を待っていた。一音でも間違えると大人から手を叩かれるのだ。    先生には違いないのだが大人と言うにはもう一つ訳があった。  時代としか言いようがないけれど僕は不幸にも左利きだった。  僕の故郷で左利きは「ぎっちょ」と呼ばれ良くない慣習として制裁の対象だったのだ。  叩かれに叩かれた挙げ句、鉛筆だけはなんとか右手で持って書けるようにはなったけれど、お箸だけはどうしても右手で扱うことは出来ずに、お昼のお弁当はもう一人いた左利きのお友達と二人で隠れて食べた。  この頃は「理不尽」という言葉を知らなかったけれど、当時僕はなぜ左手で物を持つだけで制裁を受けるのかだけは納得がいかなかった。  お弁当を隠れて左手で箸を持って食べるという行為は、大人による理不尽な仕打ちに対する小さなレジスタンス活動だったのかもしれない。  僕はそういう反骨精神みたいなものをこの一件で育まれたと思う。  幼稚園では週に一回の月曜日の朝敷地内にある本堂に集まってお経というものを強制的に読まされた。    本当に「読まされた」という認識しか覚えていない。それがどういう内容で有難いお言葉なのか知らされてはいなかったし、僕にとって幼稚園は極楽浄土はおろか地獄に等しい場所だった。  今も子供の頃と変わらない知能をしているとおもうけれど、少なくとも僕には宗教は無用。   お寺に属して救いがなかったのだから仕方がない。    他の宗教は知らないまま人生を終えていい。  僕は無知だからそれでいい。
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