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――『おむかえ券』。
これは20年前、僕の誕生日に4歳の娘から貰った誕生日プレゼントだ。
どうしてよくある『かたたたき券』や『おてつだい券』でなく『おむかえ券』であるかというと、僕は都内の企業で働いており電車で通勤していたのだが、時折妻と娘が最寄り駅まで迎えに来てくれることがあった。
月に1、2度の頻度ではあったが、それはそれは嬉しく心温まるものだった。
特に私を見つけて笑顔で駆け寄ってきた娘から「きょうもいちにちおつかれさまでした!」などと言われると、その日どころかその月の疲れが一瞬で吹き飛んだものだ。
娘にもその僕の喜びが伝わっていたのだろう。
誕生日当日の朝、普段はまだ寝ている時間なのに起きてきた娘は閉じかけている目を擦りながら「おとうさん、たんじょうびおめでと」と5枚の『おむかえ券』を渡してくれた。
「このけんをつかえば、わたしがいつでもどこでもおむかえにいってあげるから」
そんな愛らしいことを言う世界一かわいい娘を思いきり抱き締めると「いたいいたいいたい!」と叫びながら鳩尾を蹴られて「うっ」と数秒息ができなくなったことを憶えている。
その日はあまりの嬉しさに仕事なんて手につかず一日中自分のデスクに座ったまま『おむかえ券』を眺めていて部長に怒られたことも憶えている。
1枚目は娘の5歳の誕生日に使った。
何も言わず娘を改札前に呼び出して、出会い頭にずっと欲しがっていた大きなペンギンのぬいぐるみをプレゼントしたのだ。そのサプライズに娘は「きゃー‼」と両目を輝かせて自分の身長ほどもあるペンギンを抱き締めていた。
その日はいつもの「おつかれさまでした!」を聞きそびれたが、娘が本当に幸せそうだったのでやっぱり使ってよかったなと思った。
2枚目はそれから5年後の自分の誕生日に使った。
もしかしたら使わなくても来てくれたかなとも思ったが、いざ来てくれなかったらそれはそれで残念なので使うことにした。期待して裏切られることほど辛いものはない。10歳になった娘は少し大人びた表情で「今日もおつかれさまでした」と言ってくれた。
その台詞の効果は5年前と変わらず一瞬で疲れが吹き飛んだのでやっぱり使って良かったなと思った。
3枚目はさらに5年後のなんでもない日に使った。
15歳になった娘は思春期真っ盛りで普段からあまり構ってくれなくなったので寂しかったから使った。「いい歳してお迎えとか恥ずかしくないの」と文句を垂れながらもちゃんと迎えには来てくれたので僕の育て方は間違ってなかったなと思った。
帰り道も口は聞いてくれなかったが、久しぶりに隣に並んで歩いてくれるのが嬉しかったのでやっぱり使ってよかったなと思った。
残りの2枚はまだ使っていない。当然のことだが、使ったら無くなってしまうからだ。
4歳の娘が一枚一枚カラフルな色鉛筆を使って作ってくれたチケットを失うのが嫌だった。もちろんこれまで使用した3枚も捨てるわけがなく、アルバムに挟んで保管してあるのだが、あと2枚はその効果込みで取っておこうと思っていた。
人生は長い。もしかするとこの『おむかえ券』を本当に必要とする時が来るかもしれない。いざという時のために。
そして今。
僕がそのことを思い出していたのは、今がその『いざ』ではないかと思ったからだ。これからの人生で、今を置いてお迎えに来てほしい時はないに違いない。
しかし問題があった。どうやって『おむかえ券』を使おうか、という問題だ。
もう少し詳しく説明すると、テープで口を塞がれ両手両足を縛られて何処かもわからない薄暗い倉庫に転がされ拳銃を突き付けられている僕がどうやって『おむかえ券』を使えばいいか、ということが問題だった。
きっと今ほどお迎えに来てほしい時はないというのに。
――僕は誘拐されていた。
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