雪うさぎの帰還

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雪うさぎの帰還

「十年ぶりー!」  抱きつかれそうな勢いと張り上がった声に、咄嗟に一歩下がった。  上げかけた腕を元に戻しながら、陽気に懐かしそうに笑う。 「いや、七年だから……」  最初っから、間違っている、十五歳のあーちゃん。  十四歳の僕は冷静に指摘した。 「えっ、だって、ようちゃん。三頭身くらいだったのよ」  僕の膝辺りで手を水平にして「このくらい、だったかな?」と、まだ言う。 「計り方。ちゃんと計算して」  何故、頭を目安にする。  指摘されてちょっとムッとしたのか、口をへの字にし、目線を左上に向けた。ちゃんと計算しているようだけど…… 「あっ、よぅ……太陽ちゃん。今、中一、二、三?」  おい、計算下手か! 「中二」  ちょっと突き放す感じで答えると、 「声、低ぅっ」  驚いたあーちゃんが、さっきよりも大きな声を上げた。 「今さら?」  何故、僕がツッコミ担当に。  いろいろ、ひどくなってないか、人として。 「あっ、その前に消毒だった」  あーちゃんが、自分のバッグの中をあさり出す。  人の話し聞かないのは、相変わらずですね。 「とりあえず、これっ」  ペットボトルの緑茶を取り出した。 「まだ、飲んでないから大丈夫」  オレンジ色のキャップを外す。 「ちょっと。熱いやつだけど、いいの?」 「緑茶って殺菌作用あるでしょ、あと、熱湯消毒的な?」  最後のは温度的に、絶対間違っていると思う。 「ほら、指出して」  幼少期の癖が残っていたのか、黙って従ってしまった。  傷口にそのままかける。  思ったほどは熱くはなかった。靴に少し飛んだが、防水スプレーで問題なし。  しかし、道端でなにをしているのだろう。 「はい、拭いて」  ポケットティッシュを渡された。 「あっ、うん」  一枚取って、傷口を押さえる。 「絆創膏はないけど。あ、輪ゴムならある」 「いらない。今、血、止まった」  何に使う気だ、輪ゴムで指を縛るのは駄目だろ。保健室の先生が言ってたんだぞ。 「あ、そう」  なんで、少し残念そうなんだ! 「ひょっとして、迎えに来てくれたの、太陽くんが?」  残った緑茶を一口飲んで、やり切った感を匂わせながら呟いた。 「えっ」  まったく想像していない、斜めからの質問に、無防備に声が漏れる。 「あれ、聞いてないの?」  誰に、何を?  主語がないぞ。  少し考えたふりをして、動揺を抑える。 「……いや、なにも」 「もう、先にうちの母さんが着いてると思う」 「うちに?」  あーちゃんが首を縦に振る。 (ああ、はいはい……)  今朝からの母の行動を思い返す。  いつも以上に高いテンションと、掃除機の音が長いとは思ったが……そういうことか。  冷蔵庫の中もパンパンだったな。 「私、四月からこっちの高校に通うの」 「また転勤か?」 「今年から、父さんは海外に単身赴任。で、母さんと二人でこっちに戻って来るの」  いや、本当に何も聞かされてないんですけど……  脳裏に母のしたり顔が浮かんで、瞬殺した。 「ふーん。高校どこ」 「第一女子」 「はっ」  ここら辺で一番偏差値の高い女子高じゃないか。  あそこって確か。 「日本に残りたいなら、ここに通えって。ほら、うちの母と太陽くんのお母さんの母校でしょ」 「そうだったかな?」 (それは知ってる)  だが、とぼけた。 「いやぁ、目が潰れるくらい勉強したなぁ~」  努力の日々を思い出したのか、両手で両目をふさいだ。  えっ、えっと、このあーちゃんが。さっきから残念な言動で、僕には似つかわしくない、ツッコミ担当を押し付けてくる、あーちゃんが…………。 (僕より頭が良いってこと?)  モヤっとしたものが胸に広がる。  敗北感ってやつなのだろうか、これが?  いやっ。  マウントを捨てるには、まだ早い。 「ふーん。で、何してるの、ここで」  じゃあ、何故、一緒に家に来ないで、あなたはここにいるのでしょう。  開いた両手の指の隙間から、僕の顔色を窺いつつ、言いにくそうに、 「ちょっとだけ、一人で歩いてみようかと、途中で別れて――」 (おばさん。お宅の娘さん、また、やりましたよ!) 「道に、迷っちゃったのかなぁ……」  手を降ろし、マフラーを巻き直すふりをした。  やっぱり。  あーちゃんと出かける時、よく手を繋がされた。 《理由――好奇心にまかせて、あっちふらふら、こっちふらふらして、しょっちゅう迷子になりかけた為》 「十っ……七年経つといろいろと、想像以上に変わってて……」  コンビニが増えたねと、話し続ける常習犯。  いろいろ表情に出さないように、淡々と質問する。 「スマホは?」 「家にはあると思う、ははっ」  忘れてきたな。 「どのくらい迷ってた?」 「そんなには、経ってないはずよ。時間もスマホで確認するほうなので……」  時計も無し、か。  あーちゃんの鼻先がほんのり赤い。  心の中で、深いため息をついてから、 「……とりあえず、おばさん心配してるだろうから、ついて来て」  僕は自宅に向かって、歩き出した。 「はい、すみません」  しおらしく頷いて、あーちゃんがついて来る。  十五歳の迷子になって現れたあーちゃんと、普通(?)に会話をしている。昔は、後ろからついて来るのは、僕のほうだったのに、ちょっと、くすぐったい、変な気分だ。  …………でも、悪くない。 「牛乳好きなの?」 「普通」 「ふーん。だから、そんなに大きくなったんだー」  僕のほうが頭一つ分、背が高くなっている。 「だから、普通。俺よりデカい奴、いるし」 「おっ、俺って!」  あーちゃんはいちいちリアクションが大きい。 「……寒いから早く帰ろう」  南天の木は庭に植えたので、もう、探しに行かなくてもいいんだ。
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