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僕と主様
大学生になった今でも、時々思い出したり夢に見たりする。
子供の頃の、大きな友達。
身体の弱かった僕は、小学校低学年の頃に自然豊かな土地に住む祖父母の家にしばらく預けられていたことがあった。
勉強を祖父母に教えてもらいながら、都会には無い大自然の中で僕は遊んだ。お気に入りだったのは、林の中にある小さな祠だ。当時は祠というものが良く分からなかったが、何となく神聖なものなのかな、と感じていた。
その友達に出会ったのは、祖父母が畑仕事で忙しい時期の昼前だった。
お弁当を作ってもらった僕は、お気に入りの祠の傍でおにぎりを食べようとしていた。だが、それは叶うことが無かった。何故なら、その祠の前に男性が倒れていたからだ。僕は慌てて、倒れているその人に駆け寄った。
「お、お兄さん。大丈夫?」
「……」
「僕、おじいちゃんを呼んでくる!」
そう言って元来た道を戻ろうとした僕の右足を、その男性は大きな手のひらで掴んだ。
「……飯を」
「え……?」
「飯を、分けてくれないか……腹が減って死にそうなんだ……」
それは大変だ!
そう単純に思った僕は、ふらふらと地面に座ったその人に持っていたお弁当箱を差し出した。
「あげる! 全部食べて良いよ!」
「ほ、本当にか……?」
「うん!」
僕が箸を渡すと、男性は礼を言うのを忘れているのではという勢いで、お弁当に食らいついた。もぐもぐ、もぐもぐ。物を食べる時は音を出しちゃ駄目なんだよ、と注意しようと思ったが、男性の迫力に負けて何も言うことが出来なかった。
体感的に五分くらいで、男性はお弁当箱の中を空にした。そして、膝をついて僕に頭を下げる。
「助かった! この恩は忘れない!」
「お、恩……?」
「ああ、ええっと……助けてくれてありがとうということだ」
男性は立ち上がる。その人の格好は、とても妙だった。おばあちゃんが買ってくれた歴史の漫画に出てくるような、確か平安時代の人が身に着けるような服を着ている。コスプレをしているのだろうか。気になったが、何となく訊きづらかったので僕はその質問をすることを止めた。
「さて、坊主。こんなところで何をしているのだ? 人間の子供は学校に行く時間なのだろう?」
人間の子供?
変な言い方をするんだなぁ、と思いつつ、僕は身体を休ませるために祖父母の家に居ることを説明した。すると、その男性は「ふむ……」と何やら考え込むような仕草をしてから僕に訊いた。
「では、そなたはひとりぼっちなのか?」
「ううん。おじいちゃんとおばあちゃん、それからお隣のおばちゃんも居るよ」
「でも、友達は居ないだろう?」
「あ……」
考えてみれば、僕の周りには大人しかいない。そう思うと悲しくなって、僕はぐっと俯いた。そんな僕の肩を、男性はぽんと叩く。
「では、俺が友達になってやろう」
「え?」
「一緒に遊ぼう。今の俺は力が落ちているから、あまり遠くには行けないが」
「お兄さんと僕が友達? 友達って、歳が離れていてもなれるの?」
「ああ、なれるさ」
自信満々に言うその人を見て、僕は自然と笑顔になった。
「さて、何をして遊ぶ? ……そなた、名は?」
「名前? ユウトだよ」
「ユウト。良い名だ」
「お兄さんの名前は?」
「俺? 俺は……主。主様と呼ぶが良い」
「主、様……?」
変な名前だな、と思った。けれど、そう思ったのは一瞬で、僕は初めて出来たこの土地での友達のことで頭がいっぱいになった。
「主様! 僕、肩車をして欲しい!」
「なんと! この俺に肩車を頼むとは……良かろう。乗るが良い」
ひょいと、肩に乗せてもらって、僕はいつもより高い景色に興奮した。楽しい! 心から楽しいと思った。
「このまま、少し歩いてみるか?」
「うん! あのね、僕、飛行機になったみたいでとても楽しいの!」
「飛行機? ああ、空を飛ぶ鉄の塊か。知っている」
時々、変なものの言い方をするけれど、僕の友達は背が高くて変なコスプレも似合っていて格好良い。銀色の髪の毛は、きっと偽物だけどきらきら光って素敵だ。こんな友達が出来て、僕は幸せ者だと思った。
肩車をしてもらって林の中を歩いてもらっている間に、すっかり辺りは夕焼けに染まった。僕は主様に「もう帰らないと」と言った。すると、主様は前を向いたまま、肩に乗せた僕に言う。
「ユウト。お前はきっと素敵な大人になる」
「そ、そうかなぁ……?」
「もし……そなたが成人しても俺のことを覚えていたら、会いに行っても良いか?」
「成人?」
「大人になったら、という意味だ」
僕は力強く頷く。
「もちろん良いよ! だって僕たちは友達だもん!」
「もし会いに行って、そなたに妻が居なかったら俺の傍にずっと居てくれるか?」
「うん……? 良いよ! 僕も主様とずっと一緒に居たい!」
「ユウト……では、しばしの別れだ」
主様は僕を肩から下ろし、祠の前に立たせた。すると、冷たい風がぴゅうと吹いて落ち葉が視界を遮るほどに暴れた。
僕は砂埃を防ぐために目を閉じた。そして、数秒してから目を開ける。
さっきまで目の前に居た主様の姿は、もうそこには無かった。
***
「あれは、あの土地の神様だったんだろうな……」
ベッドの上で仰向けになって、僕は壁に掛かった時計を眺めた。
大学に入って始めた独り暮らし。ワンルームの狭い賃貸。彼女は、居ない。
あと三分で日付が変わる。日付が変われば僕の誕生日。晴れて二十歳だ。
――そなたが成人しても俺のことを覚えていたら、会いに行っても良いか?
「久しぶりに田舎に行こうかな」
主様のことを思い出し、僕はそう呟いた。その時、頭上で低い大人の声が響く。
「その必要は無いぞ」
「……え?」
かちっ。
時計の針が重なって日付が変わった。
それと同時に、ぴゅうと冷たい風がどこからか入り込んでくる。咄嗟に僕は目を閉じた。そして、数秒後に目を開ける。すると、そこには――あの時の、主様が変わらずコスプレ姿で立っていた。
「ひ、ひえ!」
「ユウト! 成人おめでとう!」
主様は僕をきつく抱きしめて「大きくなったな」と呟いた。
「身体は大丈夫か? まだ弱いのか?」
「あ……それはもう大丈夫です。いつの間にか丈夫になってて」
「そうか。良かった……会いたかった」
僕を抱きしめる力が強くなる。抱擁なんてものをしたことがない僕は、どうして良いのか分からなかったが、最近観たドラマのワンシーンを思い出して、そっと主様の背中に手を回した。
「ユウト。妻は居るのか? 将来を誓った相手は居るのか?」
「い、居ませんよ! 僕はまだ大学生だし!」
「大学……知っている。より高度な学問を身に着ける場のことだな。ユウトは勉強熱心なのだな」
「そ、それはどうも」
主様は、恐ろしいくらい整った顔を僕に近付けて、じっと僕のことを見つめてくる。
「ユウト。俺の友達。けれどそなたは、それ以上の存在になっても良いと言ってくれた」
「……え?」
「人間と契りを結ぶのは、その人間が成人してからではないといけないと我らの一族の掟がある」
「あ、ちょ!」
軽々とベッドに押し倒されて、さすがに僕は慌てた。
契りを、結ぶだって!?
どういう意味!? キスでしょ!? きっと、くちづけのことだと信じたい!
でも、展開が早すぎるっ!
僕は心を奮い立たせて主様に言った。
「主様! 主様は、あの土地の神様なんですか? そうですよね!? きっとそうですよね!?」
「ああ、そうだ。出会った時は恥ずかしい姿を見られてしまったな……忘れてくれ。あの時は、お供え物の当番の者が長期の旅行に行っていたらしく、食うものが無くて消滅しかけていたのだ。ユウトが来てくれていなかったら、どうなっていたか……」
ユウトは命の恩人だ、と言いながら主様は僕の首筋にくちびるを寄せる。触れたそれはとても熱かった。
「……ずっと待った。少しでも会ってしまえば連れ去ってしまいそうだったから今日まで我慢した。ユウト、俺とずっと一緒に居てくれ。俺にとってはユウトは神だ」
「ま、待って! 何で僕の誕生日知ってるんですか!?」
「俺は神だぞ? 何だって分かる。ただ、名前という特別なものは本人の口から直接聞かないといけないんだ。だからあの時は訊ねた」
「ああ、そういう……」
「ユウト……」
「わ!」
シャツの中に潜り込んでくる大きな手を、僕は必死に抑えた。すると、主様は不満そうにくちびるを尖らせる。
「ユウトは俺のことが嫌いになったのか?」
「そうじゃないです! 今でも時々、主様の夢をみることがあります! 僕の大切な友達です!」
「なら……」
「ち、契りを結んだ後はどこで住むことになるんですか?」
「ん? 住む場所?」
主様は不思議そうに首を傾げる。
「ああ、ユウトには見えないのか。あの祠の裏側には、俺の生まれた場所……ユウトの時代の言葉で言えば異世界に繋がる歪が存在している」
「異世界……」
「そこをくぐれば俺の国だ。ユウトと出会った時、俺は修業の身で国に帰ることは出来なかったが、もう修業は終わった。だから、俺の国で一緒に暮らそう。不自由はさせないと約束する」
それって、僕が急にこっちの世界から消えてしまうことなのでは!?
神隠しって騒がれるのでは!?
僕は主様に「待って!」と叫ぶ。
「僕にはまだ大学もあるし、両親も祖父母も居るんです! 急に異世界に行くというのは無理です!」
「ユウトは真面目で心が優しいのだな。ますます好きだ。愛してる」
「あ、愛……」
「ユウトは? 俺のことを好いているか?」
「え……」
いや、そんな……友達だと思っていた人を急に好きになれるかなんて……。
でも、主様とは離れたくないな。複雑な気持ちだ。
「……あの、お友達から恋愛関係に発展させませんか?」
「もう俺たちは友達だろう?」
「つまり、その……で、デート! デートとかしてから!」
「デート……ああ、水族館に行ったりタピオカミルクティーを飲んだりするやつだな」
「タピオカ……」
「分かった。では、デートをしよう」
「良かった、分かってくれて……って、主様!」
また僕のシャツの中で手を動かしだした主様に、僕は抵抗する。
「何してるんですか!?」
「うん? だから契りを……」
「そういうことは、デートを何回もやってからするんです!」
「な……なんと! 人間はそうなのか!?」
「いや、全員がそうってこともないけど……とにかく! 契りだか契約だか良く分かんないけど、僕の身体に触るのはちゃんと恋愛してから!」
そう言ってから、僕はベッドから逃げ出した。
主様は「まぁ、契りを結ぶ約束はしていなかったから、仕方ないか」と肩を落とす。けど、すぐに、僕を捕まえてその腕の中に閉じ込める。
「ユウト。俺はずっと待っていた。だから、ご褒美が欲しい」
「ご、ご褒美?」
ん、と主様は目を瞑ってキスを待つ顔をした。ええ、そんな! キスの経験が無い僕にはハードルが高すぎるよ……。
けど、固まったままの主様を見ていると何だか愛おしくなってきた。僕は勇気を振り絞り、その整ったくちびるに自らのくちびるをそっと重ねた。
「……ん」
「……?」
「……主様?」
「……終わり?」
「ええ、終わりです」
もっと凄いのを期待した、と嘆く主様の鼻を僕は軽く指でつまんだ。
「む! 神の鼻をつまむとは……その度胸、ますます惚れる!」
「……主様、デートするなら、普通の服で来てくださいね」
「なんと! これが正装なのに!」
でも確かに目立って浮くな、と呟いた主様に僕は笑いを堪えられなかった。つられて主様も笑う。楽しい。あの時みたいに、楽しい!
変わったのは、この関係が友達から恋人になろうとしていることだけ。でも、恋人になってもあんまり関係性は変わらない気もするなぁ……。
これから、きっともっと楽しい日々が待ち構えているのだろう。そう思うと僕の心は躍った。
主様、ゆっくりでお願いしますね。
そうお願いを込めて、僕はもう一度目の前の主様のくちびるに小さくキスをしたのだった。
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