お見送り

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「なんで人間じゃないんだ! 舐めやがって! 俺を誰だと思ってるんだ」 「素晴らしいじゃないですか」  僕の一言に、喚いていたおじさんがぴたりと黙り込む。それから血管を額に浮かせ、奥歯をぎりりと鳴らした。 「よほど徳を積んだということでしょ。考えてみてください。貴方は充分に、人間としての役目を果たしたということですよ」  僕は感嘆のため息を吐く。それから羨望の目をおじさんに向けた。 「蝉っていうのは、何年も土の中で過ごしますよね? 外に出てもせいぜい一週間、交尾のために鳴いて交尾したら死ぬ。それってある意味、楽で良いと思いません? ちょっとした休息期間ってことですよ」  ひとまず眉間に皺を寄せる程度まで落ち着いたおじさんに、僕はここぞとばかりに人間であることの大変さを語る。  その後、続けざまに「さぞ、お忙しい人生だったのでしょう。分かりますよ。なぜなら、蟻という項目があるということは、貴方の働きがそれだけ立派だったということを表しているからです。それをぜひ、今度は昆虫界に役立てていただきたいと思っているのではないでしょうか」と続ける。  それから僕は一白置いて、人差し指と中指を立てた。 「要するに貴方には二つの選択肢が与えられているのです。休息を取るか、働いて生命の活動に貢献するのか」 「なんで両方とも虫なんだ! だったら人間でも良いじゃないか」 「それは貴方の多忙であったことと、社会に与えた影響を鑑みれば難しいでしょう。それに虫だとしても、たかが数年の話。次に生まれ変わる時に人間になれるように、また貢献すれば良いのではないでしょうか」  おじさんが俯きがちに、眉根を寄せる。
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