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買い物に行くという彼女に付き添って、ジーノはその街を歩いていた。
霧がない。空は晴れ渡り、綿菓子のような雲が浮かぶ。
通りに並ぶ屋根は、赤やオレンジが多い。
壁もクリーム色で、敷石が飴玉のようにつやつやだ。──ここは、どこだろう……
あまりにも、ジーノの知っている風景とかけ離れている。やらなければいけない事があった。そのために自分はここにいる。でも何を?
頭に霞がかかったかのように、判然としない。
「おや、アインちゃん買い物かい? 焼きたてのバゲットがあるよ」
「こんにちは! いい香りね」
「お連れさんがいるなんて珍しいねぇ。二人で食べな」
街に入るなり取り囲まれたアインは、自分で買う以上に物を与えられ、ふらふらとする。油断すると見失いそうだ。
ひょい、とジーノはアインから荷物を奪うと、訊ねた。
「どこに行きたいんだ?」
「服屋さん、かな」
「ならそこに行こう」
空いている左手を差し出すと、アインは僅かに瞠目した。花の咲く笑顔とは、こういうことを言うのだろうか。ぎゅっと握り返して、えへへと笑ったアインは、とても幸せそうだった。
「その、てっきり君の服を、買うのかと…」
「う?」
次から次へと、アインが持ってきたのは、全部男物だった。肩幅をあわせて、色の取り合わせを見て、そんなのはついでだと思ったのだ。ところがそうではないらしい。
「だって今、貴方が着てる服、おばあちゃんが、昔着てたものなんだもの。貴方の服を買わないと」
たっぷりした袖のシャツと、紐でウエストを調節するスラックスは、マニッシュなデザインが流行っていた頃のもののようで、ジーノにも着れないことはない。
「俺には今、手持ちの金がない……
せっかく選んでくれてるのに、ごめん」
しょぼんと俯いたジーノに、アインは少しポカンとする。
「大丈夫よ。ね、こっちとこっちどっちがいい? 試着してみて」
満面の笑みでそう言われて、受け取った二つの服を持って、カーテンに向かう。そういえばここは、店員が話しかけてこないな。ぼんやり考え事をしながらカーテンを開けて、ジーノは固まった。
鏡
鏡だ
むに、と自分の頬をつねる。柔らかい。
長い髪の少年が、そこに映っていた。
──俺は、こんな顔をしていただろうか。
──?
何を考えた? 当たり前じゃないか。
違和感がある。
目が覚めてから、ずっと。
何かが、おかしい。
ただ、自分が何にそんなに衝撃を受けたのか、もうジーノにはわからない。鏡をあまり見ないようにして、服に袖を通す。今はまだ考えたくなかった。
会計は、いつの間に済ませていたのだろう?
店員と話してたアインは、似合うねと微笑むとすんなり店を出た。
「悪い。いつかちゃんと返す」
「別にいいのに」
「そんな訳にはいかない。君には与えてもらうばかりだ。それでは釣り合いが取れない」
「じゃあ…」
躊躇うように、アインはジーノを見上げる。
「いつか、私が困っていたら助けてね? それでおあいこ」
「ああ」
ジーノは力強く頷いた。
「命にかえても」
「大袈裟だってば!!」
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