ep.1

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「え……と、おはよう……」  花瀬はこの異常事態に一周回って冷静で正常な挨拶を男へと返す。 「おはよう」  ベッドに座ってこちらを見ている彼は明らかに自分よりも若かった。  薄茶色の猫みたいにつった瞳がぱっちり開いてこちらを眺めている。  両耳にピアスが開いていて、髪も明らかに地毛ではないとわかるほど明るく、ピンクと金髪の混じった派手な色がカーテンの隙間から注ぐ太陽にはっきりと照らされていた。  人付き合いの多い花瀬ですら、この手の人種はかつての出会いの中に一人としていない。最早別次元の人間に思えるほどだ──。 「え……っと、非常に申し訳ないけどはっきり言うよ。君と会ったこと、覚えてないんだ。どこでどうなってこうなったのかな? 俺が君を誘った?」 「──違う。俺がアンタを誘った。居酒屋帰り、酔い覚ましにひとり夜風に当たってたアンタを俺が見つけて声を掛けた」  その言葉にほんの少しだけ花瀬は安堵してしまう。 「そう……なんだ。そこで思わず意気投合しちゃったのかな? 初対面の人を家にまで呼ぶなんて我ながら大胆で驚いたよ」と花瀬は中身のない笑みを浮かべた。 「──呼ばれてないよ。俺が勝手にストーカーしただけ」 「はいっ?!」  異常事態にはお似合いな狂気じみた単語が耳に届いて花瀬はすっかり笑みを失い、一瞬にして固まる。 「ス、ストーカー?」 「ずっと後ろから着いてって、ほらあのテレビの刑事モノみたいに前のタクシー追ってくださいってやつ、人生で初めてやったし、割増で乗るタクシーも初めてだった。ガチで高くて来月のカードの引き落としが今から怖い」  無駄に瞬きの多い花瀬に対し、彼は淡々と今朝までの歩みを真顔で話してきかせた。 ──マンションについてからは背後に隠れてエントランスのオートロックを突破し、エレベーターから玄関までずっとそうやってたどり着いたと。 「……部屋の中にはどう、やって?」と、花瀬はどこかネジが外れた古いロボットみたいに首をカクカクさせて尋ねる。 「玄関入った瞬間後ろからタックルした」 ──やはりずっと犯人が告白する実録犯罪ファイルを自分は聞かされていたのかと花瀬は覚悟するように強く目を瞑った。 「あ、の、君のした、こと、って……犯罪だと思うんだけど……」 「うん、だから既成事実も作った」 「うんって素直に認め…………ん? キッ、キセイジジツッテナニ?!」  犯人の話す恐ろしい言葉に花瀬は慄きのあまり、身体が床から少し浮いたような錯覚を覚えた。 「俺、ヒート前だったから俺の匂い嗅いだらアンタ途端にラットになって……もう、ものすごかった。クールなイケメンが突然理性飛ばして獣みたいに興奮して俺のこと……。もう、すごかった。激しくて死んじゃうかと思った」  花瀬はとうとう脳味噌がショートしてしまい、その場に力無くへたり込んだ。その時ようやくスラックスのファスナーが完全に開きっぱなしなことに気付き、更なるトドメを食らう。 「俺の服……アンタが全部破っちゃって……勝手に借りたよ?」  少し戸惑いながら男が目を泳がせ口籠るので、花瀬はもう一発深く打ちのめされた──犯罪者に犯罪で返してしまった自分に心の中でこれ以上ないくらいの罵声を浴びせまくり、昨夜の自分を呪いに呪った──。
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